偽物の愛と真実の愛~赦しの実践を通して~




赦しの実践をしている時、身体の「私」が○○をしている、思っている、感じている


と心が自我と同一化している時、欠乏感を認識して、恐れ、苦しみが共にあることに気付きます。




ですから、例え私が誰かから愛される、又は私が誰かを愛するとき、「身体の私」が愛し愛されている時、その根底の欠乏感(分離感)をその相手によって埋めないといけない…と苦しんでいます。




それは、心の中にある「神(源)から分離した」という誤った信念が完全に訂正されない限り、欠乏感が無くなることはないと感じます。




ですから、肉体の私が愛するとは、必ず条件があり、それは自我の愛するという概念であり、その信じてきた「愛」という概念も手放す必要があるのだと実感しています。




ですから、真理の「愛」とは、意味付けが出来るものでは全くなく、全てを知っている聖霊に私の心を完全に明け渡し、何が神の愛を延長することなのか…



聖霊に教えていただき従うことが、愛の延長なのだと深く感じています。





ですから、過去の概念を採用してきた「身体の私(自我)」は、間違っていたのだ、私は何も分からないと降参して、




聖霊に毎瞬お任せすることこそが、愛の表現になるのだと気付かされています。

奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。