奇跡講座は人生の楽しみを奪うのか?



先日、you tubeにケネス・ワプニックさんの「奇跡講座は人生の楽しみを奪うのか?」という動画がアップされました。



その内容が、心に響きました。




2分19秒~↓↓


幻想の世界の中には、いかなる楽しみもありません。


私たちが住む世界の中にはいかなる楽しみもありません。



そもそも、肉体の世界自体が存在してないのですから、どうしてそこに楽しみがありえるでしょう。


楽しみは、ただ肉体の世界には存在しないと認識することのみから生じます。



テキストの中に、次のように述べている箇所があります:



「喜びのない場所では、自分がそこに居ないと気付く以外にどのように喜びを見つけられるだろう?」(T6.Ⅱ.6:1)



それが真の喜びであり、真の楽しみです。


そして、その喜びも、楽しみも変化しません。



それは、恒常的なものだからです。




…………





ワプニックさんが伝えて下さっている様に、幻想の世界の中にある喜びや幸せとは、瞬間的なものであり、恒常的なものではありません。



そして、赦しの実践を続けていると、分離した「私」(自我を選択している心の状)のとき、



神から分離したと信じる存在論的罪悪感(恐れ・悲しみ・罪悪感・無価値感・焦燥感・憎しみ)を根底では常に感じていることを認識します。




ですから、「私」が外側の○○によって喜んでいるとき、○○によって幸せを感じるとき、同時に存在論的罪悪感という泣き叫びを感じている事を認識します。




ですから、実践をすればするほど、心の選択を自我から聖霊に委ねるという赦しの実践が生きる喜びに変化しています。



そうすることで、神の愛、恒常的な幸せが取り戻されるからです。



でも、目覚めていない「私」の心は自我を選択し、瞬間的な外側の楽しみや幸せを掴み、自分騙しに挑みます。



それも、認識しては、何度も何度も聖霊に心を明け渡すことが必要です。



それによって、聖霊がこの世界の中で「私に何をさせたいのか?」という事を受けとる事ができ、それに従うのみです。



そして、それがワプニックさんが動画で伝えられていたように、



ただ一つの真の楽しみは、神の意志を行うことの中だけにあります。



すべての真の楽しみは、神の意志を行うことから生じるということを、私達に認識させます。(T1.VII.1:4)



この内容を、実践を通して、深く実感しています。





ケネス・ワプニックさん、真理を指し示して下さり、心より感謝致します。



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。