2020.10.13 00:00真の目覚めは我がままに生きる事ができない先日、スピリチュアルな友人とのメールのやり取りで、「私は我がままに生きている」というメッセージを送ってくれたのですが、その兄弟には何も問題ないし、いいよね!と感じたのだけど、私自身の心の中では「違和感」を認識しました。そして、これは内側を見つめた方がいいと感じたので、今の私の心の実践に対して、「我がままに生きる」とは何だろう?と聖霊に祈りながら見つめてみました。すると、その我がままに生きるという概念が自分の心からほぼ消えていて、『インスピレーション(聖霊からの)を生きる』という言葉がしっくりと来ました。なぜならば、この2年近く、今まで私の好きと思っていたものが、「必要ない」と聖霊からのインスピレーションを受け取り出来なくなったからです。そして、私の人生の中でやりたくないと思っていたことをやる…という聖霊からのガイダンスを受け取り、それを実際にやっています。ですから、自我の視点から見ると私の今の人生は、我がままに生きていないし、生きる目的が、自我の分離維持目的のしがみついていたものをすべて手放すために、聖霊のガイダンスを受け取りそれに従うという生き方になっているのだと…改めて気付かされました。そして、自我の分離維持の目的のために「やりたいことだけをやって喜びや幸せを感じる」という事は、外側に焦点が当たっていて、瞬間的な幸せや喜びで欠乏感を埋めて、永遠でない幸せで喜んだふりをする…という自己騙しをしているに過ぎません。ですが、聖霊のガイダンスのままに生きるとは、ゴールが真実の自覚が取り戻されるということです。それは、真の喜びであり、永続的な幸せ、恒常的な心の平安なのです。ですから、「私」から目覚めるまでは、自我の視点から見ると「我がままに生きれない」と見えるかもしれませんが、例え自我にとって嫌なことだと感じてやることさえも、真理をゴール(目的)とした時に、それは良きことであり、感謝の気持ちが溢れてきます。そして、聖霊のガイダンスを生きることは、真理を見えなくしていた自我の鎧が剥がされてゆく事に気付くので、それは喜びなのだと実感が深くなってきています。永遠の幸せを生きるのか、自我の泣き叫びを隠して、自己騙しの瞬間的な偽の幸せを求めて生きるのか…私の心の決断と聖霊の声を聴こうとしているのか…真の幸せは、自分の心の決断によってのみなのだと、友人とのやり取りで、改めて気付くことが出来ました。本当に外側に原因は1つもなく、私の心が贖罪を受け入れる(罪や罪悪感があるんだという誤った信念が訂正される)そのために、私の心が自我を掴む(選択)することを辞め、聖霊に完全に心を明け渡すのみなのだと実感しています。ありがとうございます。奇跡を生きる ~Love&Light ~目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。フォロー2020.10.14 00:40真理は、私の心の中のすべての誤りを訂正する2020.10.09 01:48幸福は、私の心の選択によります0コメント1000 / 1000投稿
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