愛を思い出す~The giverからのゆるし~



先日は、映画『the giver 記憶を伝える者』を見ました。



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「ザ・ギバー 記憶を伝える者」は、近未来SFアクション。世界の荒廃を経て、人類は平等で争いのない理想郷のような社会を作り出した。


その中で育った青年ジョナスは、コミュニティの記憶を次世代に伝える「記憶の器」に任命される。



すべてのコミュニティの記憶を持つ唯一の人物「記憶を注ぐ者」のもとで教えを請うことになったジョナスは、コミュニティの過去に隠された暗い真実を突きつけられると同時に、


人々の記憶から消し去られていた恐れや苦痛、憎悪といった感情を知り、現在の人類のあり方に疑問を抱きはじめる。


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映画を見て、人それぞれに受け取るものは違うと思うのですが、私が受け取ったことを書かせていただきたいと思います。





主人公のジョナスは、「記憶の器」に任命されて、これまでの世界の記憶を取り戻すと同時に、今居る世界は人間が人間をコントロールしている世界なのだと気付き、



忘れていた自分の中に在った【愛】を思い出してゆきます。




そして、その世界の境界線を越えると、人々に記憶が戻り、すべてを思い出すという内容になります。




その理想郷の様な世界の中で、人々は毎日朝に、健康のためだと薬を投与するのですが、ジョナスは、それが感情を抑制する薬だと気付き、



その薬を投薬することを辞めて、感情を思い出してゆきます。





その内容が、私自身の日々の実践にリンクして、自我は心の中の『源から分離した』という誤った信念を保持するために、自分自身の感情を抑圧し、



その奥に在る【真理】を見えなくしてしまいます。




でも、奇跡のコースでは、その自我の思考・感情を直視することが大切だと教えてくれます。




なぜならば、それは真実ではなく、起こっては通りすぎるものであり、その奥には全体で在る【愛】そのものだとの自覚が取り戻されるからなのです。



でも、私達は、ジョナスの生きている世界の様に、自分の感情や痛み・苦しみを見ない様にして、真実を見えない所に追いやります。




それが、映画の中に出てきていた境界線であり、私達自身の心の中でも、真理を忘れた境界線があります。



そして、奇跡のコースの赦しの実践では、聖霊と共にその境界線(忘却のベール)を突破し、本性を完全に思い出してゆきます。



そして、永続的な幸せを生きてゆくことになると…奇跡のコースで、教えて下さっています。




他には、映画の中で、人々が会話を始める前に「謝罪を受け入れます」という言葉が何度も出てくるのですが、



「私は身体だ」と自我と同一化している時に常にある『存在論的罪悪感』が描写されているなと感じました。



でも、境界線を越えて真実が取り戻された時、その罪悪感は嘘であり『無』で在ったとの気付きが起こります。




たまたま、Amazonプライムで、映画を見ようと探していたのですが、聖霊の導きによって、気付きと浄化の時間という【ギフト】をいただきました。



そして、その映画を通して、神の愛を感じて涙が溢れました。



完璧なお導きを有難うございます。




奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。