母を赦したことで、母の完璧性を受け取ることが出来ました
先日、久しぶりに母から電話がかかってきました。
コロナの影響で母とは1年数ヶ月会っていません。
そして、奇跡のコースの実践を始めて、母に対しての赦しをしました。
それは、母に対して、
理想の母ではなかった
私の聞いて欲しい話より、母の話を聞いてあげないといけなかった
母は、愚痴が多い(我慢の人生だった
)
父の浮気の事を私に詳細に報告してくるのが嫌だった
など、母から育てられて、母から愛されているや、母のポジティブな所や好きな部分も沢山ありましたが、
奇跡のコースを始めて、実家に帰った時に、母と話すことが苦痛になっているということを、しっかりと認めることが出来ました。
そしてそれは、母を完璧な神の子ではなく、
欠けている存在
我慢が多くて可哀相な存在
(助けてあげないといけない)
などと、自我と同一化して母を見ている事に気付き、奇跡のコースの実践の7年間で、母に対する自我の思いに気付く毎に「心」に戻り赦しをしていました。
そして、赦しの時に、母を「欠けてる」「弱い」と見ることは、同時に私自身のことも「欠けてる」「弱い」と信じているのだと気付くことも出来ました。
そして、久しぶりに母と電話で話して、
膝に水が溜まって入院している
病院の人も良い人ばかりで、家族も良くしてくれる。
やっぱり、感謝の思いを感じる
など、若い頃から入退院を繰り返して、そんな中でも愚痴の多かった母が、
ほとんど愚痴もなく、感謝の思いばかりを口にするという母に変化していました。
そして、現象では、膝に水が溜まって痛みがあり病院にお世話になっている状態だったけど、母の心は幸せなのだと感じることが出来ました。
それは、自我の目的である「分離維持」のために、母に罪を見る・又は母の欠乏感を見るという自我の見方から、
聖霊と共に母の完璧性(本性)を見たいと決断したからこそ、その様な母を見ることになったのだ…と、聖霊と神への感謝の思いが込み上げてきました。
やはり、母の赦しを通して、
『私の見方』と『私の心の決断』のみが、私の幸せであり、何も問題が無かったのだ…と真の救いになるのだと実感しました。
母とのコミニュケーションで、『愛』を分かち合えたことに心より感謝いたします。
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