「私」を捧げると神の愛を受け取ります
奇跡講座ワークブックレッスン242
今日一日は神のものである。
私はこの日を神への贈り物とする。
1.
今日、私はひとりで生きようとはしない。
私は世界を理解していないのだから、自分ひとりで生きようとすることは愚かである。
しかし、私にとって最善なることのすべてを知っている聖霊がいる。
そして聖霊は、私のために喜んで、神へと導く選択だけをしている。
私は帰還の道を遅らせたくないので、この日を聖霊に捧げる。
聖霊こそが神への道を知っているからである。
……………
最近、「私は何も分からないのだ」という事を思い出して、
聖霊に「私は今日(今)、何をすべきか教えて下さい」と思い出す度に、何度もこの祈りをするようにしています。
そうでなければ、自我が「罪悪感(欠乏感)」から、計画を立てたり、考えたりしようとすることに気づかされます。
そして、昨日は息子の誕生日でした。
息子自体、ほぼその日の直感や気分で何かを決めることが多いので、
前日に「あなたのお誕生日の夜は何をするの?」と聞いても「分からない」と答えるだけでした。
そして、昨日の夕方に、いきなり「外にご飯食べに行きたい!」と言ってきて、私自身何も考えてなかったのですが、
主人も歯医者で早退していたのと、娘もコロナの検査をして陰性と確認して、東京から福岡に帰ってきていました。
ですから、息子が急に言ってきた言葉通りに、外にご飯を食べに行くということがスムーズに起き、4人でご飯を食べました。
そして、これから先、4人それぞれの道を歩んでゆくのですが、
この4人家族という幻想を使って、
聖霊が
繋がっていること
一つであること
例え、4人の家族がバラバラになっても、離れることは出来ないのだ
と、お誕生日を家族でお祝いしながら、聖霊からのメッセージを感じて、感謝の思いで満たされました。
本当に、私が心の中で「罪悪感」=「分離の信念」を掴まなければ、何をしていても、神の愛を受け取ることになるのだと実感しました。
イエス・聖霊
いつも、お導きをありがとうございます。
神さま、愛して下さりありがとうございます。
娘が、お食事屋さんの近くで写真を撮ってくれました↑↑
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