今ここに在るのは「愛」のみです~私は、何も今あるままに見ていない~



最近、外国人の兄弟が奇跡のコースの個人セッションを受けて下さっているのですが、



自分の心の中から、「恋人がいなくて寂しい」という苦しい思いが何度も何度も出てくるとシェアして下さいました。




でも、それは「神から離れた」という分離の信念からくる寂しさを外側に投影(すり替え)しているだけで、たとえ恋人が出来て数年は満たされても、また違う何かによって欠乏感や罪悪感が終わることはないということが分かります。



ですから、私達が本当に満たされていることを知るには、神を思い出すしかないのです。



この事を兄弟とも分かち合いました。





そして、毎日その兄弟とは奇跡講座のワークブックレッスンを分かち合っているのですが、今日のレッスンは



レッスン9


私は、今何もあるままに見ていない



という内容でした。





この内容は、心が自我を通して世界を見ている時、または自我を通して世界を解釈している時の心の状態です。




ですから、心を聖霊に明け渡すと、今ここには「神の愛」のみが在るので、その神の愛を心の平安を通して実感することができます。




でも、心が平安でないとき、私達の心は自我を通して世界を見ているので、いろんな意味付けをしています。




そして、その意味付けによって、思考の中で、自分で自分を苦しめているだけ…という事に気づかされます。




そして、私達はその心の動きに気づいて始めて、聖霊に「愛に戻ることができるように助けて下さい」と祈ることができます。




私も、目覚めを目的として生きるようになってから、私の生きる目的は、聖霊と共に「あるままに見ること」だと実感しています。




そして、完全に目覚めるまでは、私の心は「あるままに見ることができていない」としっかりと気づくことが大切だと実践を通して感じています。




そして、この心を見つめ、気づいては何度も何度も聖霊に心を明け渡すことで、私に必要なことは「聖霊がなさって下さる」という信頼が深くなっていきます。




それは、まるで、聖霊・イエスが車の運転をして下さり、私は助手席で、聖霊が見せて下さる景色を聖霊と共に受けとればいいのだと感じることもあります。




今日も、心を見つめて、聖霊と共に1日を過ごしたいと意志します。



そして、聖霊が私にさせたいことを受けとり従いたいと意志します。




いつも、愛されていることを教えて下さり有難うございます♡

奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。