本当の原因を見つめてゆるす〜コントロールすることを辞める〜




先日は、奇跡のコースのシェア会で、



自我の特別な関係と聖霊の神聖な関係についてお話をさせていただきました。




そして、ある兄弟が、相手に対して攻撃してしまい、その後にそんな自分も責めてしまうという特別な憎悪を赦しているとシェアして下さいました。 




私自身も、日々の実践の中で、仕事やプライベートで、相手に対して攻撃の思いがある事や、攻撃されたという思いがあることに気づいて赦しています。




有り難いことに、赦しのお陰様で、赦すことで、その自我が通り過ぎ、自我と同一化したまま相手に表現するという事はありません。




そして、その相手に対して怒りや悲しみを感じるときは、相手が私の思う通りにならなかった…というコントロール欲求が達成されなかったが故に起こっている思考・感情だと気づきます。




でも、自我は何が何でも相手や現象を変えたいと試みようとします。




もちろん、それが上手くいくこともありますが、それは永続的ではありません。




そして、上手くいかなければ、自分自身の心が苦しいだけなのです。





ですから、



しっかりと自我のコントロール欲求を掴んでいるということを認めて……




聖霊、私は相手をコントロールしたいという思いを掴むことを辞めます




と完全降参して、聖霊に、「私は何も分かりません」「どうぞ、あなたが為さって下さい」と赦し祈ります。




そして、赦すことで、コントロール欲求は、神(真理)を否定するための自我の自己騙しであることに気づきます。




ですから、本当の原因は外側ではなく、心の中の分離感=罪悪感であることをしっかり見つめることができ、その本当の原因を聖霊に訂正してもらう事が出来ます。




自我は、本当の原因を見させないために、何度も何度も外側に原因がある!!と囁いてきますが、本当の原因を自分自身に教えながら赦すことが大切なのだと実感しています。





イエス、聖霊



いつも、真実へと導いて下さり有り難うございます。





………………………………………






不死というあなたの現実

ゲイリー・レナード著 64ページより↓↓





ぼくたちは自分が投影しているものを見ている。




自分自身の無意識の心が映写機なんだ。




映画を見に行った時のようなものだな。




見ているのが現実じゃないことをぼくは忘れたい。




それが現実であって欲しいと思い、関心はスクリーンに奪われている。




スクリーンに夢中になると実際に反応し始めるかもしれない。




じつはそこでは何も起こっていない。




スクリーンに映っているのは映像効果で、ぼくが見ているイメージは別のところから投影されている。




スクリーンで起こっていることを何とかしたくてスクリーンをいじってもどうにもならない。



だって映写機があるんだから。



映写機は闇に隠れている。 



それは考えないことになっているんだ。




でも原因はそこだ。




ぼくの見ているものはそこから送られている。



本当のパワーが欲しければ、結果である映像ではなく原因の方をいじったほうがはるかにいい。




映写機の中にあるもの、つまり映画を変えれば全てが変わる。





奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。