幸せは、探さなくてもここに在る〜実践を通してのつぶやき〜



外側の



〇〇によって、私は満たされる



〇〇によって、私は幸せを感じる



〇〇によって、私は愛を受け取る





そして、その期待した〇〇が手に入らないと、絶望を感じる。



そして、私が絶望を感じていると信じたい、、、




その心を見つめると、自我は神の愛を否定するために、自己騙しをし続けてるんだなと気づく。




そして、自我は、何とか外側に目を向けさせ、心の中の「分離の信念」を持ち続けたいと思っている。




そして、外側によって得られない「私」の惨めさをリアルにしたいという強烈な欲求が見える





でも、聖霊は、その私の惨めさも「無」だからこそ、それに気づくために私と共に見て下さい



と、教えて下さっている。





だからこそ、現象を通して、惨めな自分になる…というのは、真の目覚めの過程として見ると、「無」だと気づく機会を与えられているので、良きことだと受け取ることが出来る。




やはり、生きる目的を「赦し」にすることで、神に頭を垂れ、感謝の中で生きることになるのだな…





外側に幸せを探すことはホントーーーに無意味だった




なぜなら、幸せはいつもここに在るのだから。




奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。