目覚めへの過程において欲求は悪いことではない



目覚めると意志して、その過程で、色んなことに対しての欲求が出てくることに気付いてきました。




ただ、外側に対する欲求とは、私の心が欠乏を信じていているからこその欲求なのだと認める事となりました。




でも、その欲求に従い行動することによって、真理を否定するための自我の仮面が浮き彫りになってきて、その思考や感情を聖霊に捧げるという事が出来る。




だからこそ、その欲求を悪いことだ…や目覚めの過程において欲求とは自我だからやってはいけない…ではなく行動に移した方が、自我の分離の信念が、より剥がされてゆくという事も実感しています。




もちろん、その起こってくる欲求の中でも、聖霊からそれは行動に移す必要がない…とインスピレーションが来て、行動に移さずその欲求は消えてゆくという事もあるので、



出てきた欲求に対して、聖霊にこれを行動に移す必要があるのか…は尋ねるべきだと感じています。




もちろん、自我なのか…聖霊なのか…分からないという間違いは何度もあると思うのですが、



間違ったか、間違ってないかという部分に焦点を当てるよりも、




行動に移す前に、聖霊に尋ねること



行動に移した時に出てくる思考・感情を見つめ『赦してゆく』という事が大切なのだと実感しています。




奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。