特別な憎悪より特別な愛をゆるす方が難しい〜神の愛とは〜




最近の赦しの実践は、 



自我の「特別な愛」を直視し続けて聖霊に捧げ、すべての兄弟を一つの神の子として見るというレッスンが続いています。




本当に自我は、兄弟に序列をつけて、この兄弟は愛すべき兄弟ではない、この兄弟は愛そう…と常に自分にとって得か損かで、愛するか愛さないかを決めています。




そして、奇跡のコースの教師、ケネス・ワプニックさんが本で書かれてましたが、


特別な憎悪より、特別な愛を赦す方が難しい。




それは、実践をしていてより実感しています。




実際に、最近は、他の兄弟に攻撃したり罪を見るという「特別な憎悪」をリアルにする自我の思考が出てきても、


赦しの実践を通して、その思考を聖霊と共に通りすぎるままを見ている…という感覚になって、心も平安に戻りやすい。




でも、特別な愛は、外側のある特定な物や現象、兄弟によって、その瞬間は満たされるので、


神の変わりになるし、天国を実感している様な心の状態で居ることが出来ます。




ですが、それは束の間で、また自我の欠乏感からゲットしたい…



もっと、もっと!!…と埋まることはないので、恐れを根柢として苦しみ続ける心の状態を維持することになるし、



外側の何かを求めるのを辞める、又は外側の何かで私は幸せになることはできない…と『降参した心の状態』にならないと、真に目覚めることは出来ない…と実感しています。




そして、外側の何かで私は満たされる・幸せになるという心の状態でいることで、聖霊のガイダンスを受け取る邪魔をしていることにも気づきます。




ですから、その心の状態に気づいて赦して聖霊に教えて下さいと、常に尋ねる。




そして、受け取り従う心の状態こそが、神の愛の中で安らいながら、真の愛のギフトを受け取る人生になるのだと深く腑に落ちてきています。



聖霊・イエスの導きに、心より感謝いたします。



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。