★奇跡のコース実践者の優等生にならなくていい〜優しい導き〜


福岡で奇跡の会を主宰している純子です。


先日、ある兄弟が自我と分かっているんだけど、その心の選択をして、そのまま言葉にだしてしまい相手を攻撃してしまう。


過去の経験から、その防衛反応で攻撃したいという思いも出てきて自分を責めてしまうとシェアして下さいました。



奇跡のコースで赦しの実践をしていると、自我がその実践者の「私」を横領し、良い実践者にならなければいけない。


無意識に実践者の優等生にならなければならない。


そうでないと価値がない


そうでないと愛されない


と信じています。


ただ、その心の中の信念に気づいて、それさえも聖霊に捧げ、どうぞ為さってくださいと心を明け渡してゆく。


私達は、あまりにも自我が私だと信じてきたので、その自我が幻想だったと本当に気付きを受け入れるまでには、かなりの赦しの実践が必要だと感じています。(自我が信じています)


だからこそ、JACIMサイトに書いてありましたが、赦しをしてゆくには、忍耐と優しさを持って実践してください。


と書いてある箇所がありました。



なぜならば、赦したのに、赦せてない!!と自分の心の中で自分自身にムチ打ちます。


そして、私は罪人だ!と肉体の私に罪を投影します。


これに、気づかないと投影のループに入ってしまい、ただただ苦しい「私」が続いてゆきます。


ですから、赦しが出来ない私に降参してゆく。


ダメダメな私でいいのだと受け入れる。
(私もこのダメダメな実践者だ、、、、という思考は何度も浮上してきました┐⁠(⁠‘⁠~⁠`⁠;⁠)⁠┌)


なぜなら、それは嘘だから、その愛を求める声を受け入れてあげる。


そして、聖霊に私は~を赦せないので、あなたに助けていただきたいですと祈る。


変わりにあなたに赦していただきたいですと祈る。


あとは、聖霊が訂正して下さると信賴する。


その忍耐と優しさを続けてゆくことで、赦しが習慣化してゆき、自我の思考体系から、聖霊の思考体系へと、徐々にシフトしてゆくのだと実感しています。


恐れから平安へ。


外側は、起こることが起こりますが、自我と同一化して、肉体の中に幽閉された私ではなく、心に戻り、聖霊のフィルターを通して、神の平安を受け取ってゆく💗


それが、私達に常に与えられたギフトなのだと、感謝でしかありません。



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私たちは、自分を愛してくれる存在が自分と共にいると知ることが必要になります。


その存在は、私たち自身ではありません。


それは聖霊、またはイエス、あるいは、私たちが選択するどのような名前でもかまいませんが、とにかく私たち自身以外の誰かです。


その誰かの助けがなければ、私たちはあまりに恐ろしくなって、その道を先に進むことができません。


私たちが行おうとするのは、その途中までということになります。


ですから、聖霊は私たちの導き手であると同時に教師でもあり、また慰め手でもあるのです。


「ワークブック」の最後で、イエスは次のように言います。


「・・・安心していなさい。私も決してあなたを慰めもなく放っておくことはしない。」(W-pⅡ.ep.6:8)と。


彼がこの言葉を文字通りの意味で言っていることを私たちが知らない限り、つまり、私たちの中に、私たちではない存在がいて、私たちを愛し、慰めてると知らない限り、


自分自身の罪悪感に対処しなければならないときに、自我の思考体系の要塞を超えて進むことはできません。


そして、これは常に、他人を赦すという枠組みの中で為されます。


イエスにしても聖霊にしても、私たちがどんな名前で彼らを呼ぶかは気にかけません。


けれども、彼らが気にかけていることがあります。


それは神からきた誰かが私たちと共にいて、私たちの手を取って導いて行ってくれていることを私たちが認識するようになることです。


その慰めと安堵感がなければ、私たちは絶対に自我を超えていくことはできません。


だからこそ、状況がどんどん悪化しているように見えているときに、本当は良くなりつつあるということがあるのです。


奇跡講座入門
ケネス・ワプニック著


♪♪自我の仮面を見破ってゆくセッション始めました♪♪

奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。