知慧があなたを動かし、あなたの面倒を見るだろう
覚醒の炎 プンジャジの教え
P45~46より
質問者
私は同じ人の中に行為者と観察者が存在していると感じるのです。
そして身体はただひとりでに行為するのです。
パパジ
身体は活動し、観察者はそれとは別に存在する。
身体は自我を通さず、直接指示を受けるのだ。
「私は行為者だ」という観念はそこにはない。
行為者が存在しないとき、その人に行為の責任はない。
その状態ではいかなるカルマも形成されず、心も存在しない。
心がなくとも非常に有能に働くことはできるのだ。
新たな質問者
なぜその後で心はふたたび現れるのでしょうか?
パパジ
もしあなたがこの状態にあって注意深く、油断なくあれば、心がふたたび現れることはない。
その代わりに、何か他のものが現れるのだ。
その「何か他のもの」とは何だろう?
今、あなたは心についてだけを知っている。
それを越えた彼方なるものについては何も知らない。
心が消え去ったとき、もはやあなたに欲望はない。
欲望がなければ、ただ源に戻るだけだ。
その源で、今まで気付かなかった「何か他のもの」があなたを動かすのだ。
それをプラジュニャー、あるいは知慧(ちえ)と呼んでもいい。
それがあなたの面倒を見るだろう。
プラジュニャーがあなたの人生を動かしていくとき、あなたはただの道具となる。
………………………………………
観察者であることに気付き、知慧に完全に委ねる。
その時には、分離の欲望は完全に無へと消え去っている。
そして、大いなるものの道具となり、
永遠の幸せの中で安らぐこととなる。
パパジ
教えて下さり有難うございますm(__)m
分離の欲望があることを見つめて全てを光に捧げます。
そして、私は行為する者でなかったとサレンダーしてゆきます。
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