2019.08.19 07:21真の目覚めへの自我の抵抗私は奇跡のコースに出会った当時、「真の目覚めとは何か?」を理解していなかった。その当時は、本来の自分が愛だという体験も起こってきていたが、引き寄せの法則と思考の現実化と同じカテゴリーで考え、この世界で幸せになるために、奇跡のコースを学び実践を始めた。でも、奇跡のコースでは、世界は幻想である世界は既に終わっている世界は起こっていなかった個人の私は居なかった分離して居なかった真実はGOD IS(神の愛が在る)など、私は身体である自分の外側に世界があるこれは、幻想であり、無であり、実在するのは、「不可知な神のみ」と妥協なく伝えてくれている。そして、「私は神から分離が出来た」というたった1つの誤った信念が、真実を見えなくしている…私達がすることは、その邪魔を辞める。だから、「私は身体である」という自我を直視していき、それは間違いだった真実をイエス・聖霊に教えていただきたいと祈り続ける。だから、神からの分離を体験したかった自我からすると、真の目覚めとは自我の死であり、神から分離は起きていなかったとの種明かしがなされるから、脅威でしかないのだ。だから、イエスからインスピレーションが降りてきて、それを筆記したヘレン・シャッマンと共に奇跡のコースのテキストなどを校正された、ケネス・ワプニックさんは、奇跡のコースを本当に実践し始めると、強烈な抵抗が起こってくると教えて下さっている。だから、私も実践を始めた時に、奇跡のコースが本当に伝えたがっている意味を歪めてしまうのは、当然のことだと今は理解できる。なぜなら、自我が消えることが怖いからだ。そして、神から分離した=神の父になりたかった(テキストより)という願望があったので、常に神を除外し、神に勝とうとするという事を妄想の中で挑んでいるのだ。ただ、それも全て幻想で本当の私がやっているのではない。真実は、常に神の愛の中で幸せなのだ。ただ、真に目覚めるまでは、真実を忘れて、世界の中に幽閉された個人の私と信じているので、本当に聖霊を信頼し、助けを求める以外に、真実を思い出すという救いはないのだ。だから、神よりいいものなんて作れなかった。神を除外することなんて出来なかった。神はただ愛を創造し、私は神の子で在り、神と同じように愛のみを延長していたんだと真実を思い出すまで、完全に降参していく。負けに負けていく。神の愛の中に全てを委ねる。幻想へのしがみつきを完全に辞める。ただただ、これだけなんだ…。真に目覚めるまでは、この抵抗を認識し光に捧げ続けて、イエスに全てを委ねる。イエス、いつも教えて下さり有難うございます。神の愛の中で幸せだったと自覚するために、導いて下さり有難うございますm(_ _)m奇跡を生きる ~Love&Light ~目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。フォロー2019.08.20 01:05自我か神か…?2019.08.16 10:47私は神に守られ愛されている0コメント1000 / 1000投稿
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