真の目覚めへの自我の抵抗





私は奇跡のコースに出会った当時、「真の目覚めとは何か?」を理解していなかった。




その当時は、本来の自分が愛だという体験も起こってきていたが、



引き寄せの法則と思考の現実化と同じカテゴリーで考え、この世界で幸せになるために、奇跡のコースを学び実践を始めた。



でも、奇跡のコースでは、


世界は幻想である


世界は既に終わっている


世界は起こっていなかった


個人の私は居なかった


分離して居なかった



真実はGOD IS

(神の愛が在る)


など、




私は身体である


自分の外側に世界がある




これは、幻想であり、無であり、実在するのは、「不可知な神のみ」と妥協なく伝えてくれている。



そして、「私は神から分離が出来た」というたった1つの誤った信念が、真実を見えなくしている…



私達がすることは、その邪魔を辞める。



だから、「私は身体である」という自我を直視していき、それは間違いだった



真実をイエス・聖霊に教えていただきたいと祈り続ける。



だから、神からの分離を体験したかった自我からすると、


真の目覚めとは自我の死であり、神から分離は起きていなかったとの種明かしがなされるから、脅威でしかないのだ。



だから、イエスからインスピレーションが降りてきて、それを筆記したヘレン・シャッマンと共に奇跡のコースのテキストなどを校正された、ケネス・ワプニックさんは、


奇跡のコースを本当に実践し始めると、強烈な抵抗が起こってくると教えて下さっている。



だから、私も実践を始めた時に、奇跡のコースが本当に伝えたがっている意味を歪めてしまうのは、当然のことだと今は理解できる。



なぜなら、自我が消えることが怖いからだ。



そして、神から分離した=神の父になりたかった(テキストより)という願望があったので、


常に神を除外し、神に勝とうとするという事を妄想の中で挑んでいるのだ。



ただ、それも全て幻想で本当の私がやっているのではない。



真実は、常に神の愛の中で幸せなのだ。



ただ、真に目覚めるまでは、真実を忘れて、世界の中に幽閉された個人の私と信じているので、


本当に聖霊を信頼し、助けを求める以外に、真実を思い出すという救いはないのだ。



だから、神よりいいものなんて作れなかった。



神を除外することなんて出来なかった。




神はただ愛を創造し、私は神の子で在り、神と同じように愛のみを延長していたんだと真実を思い出すまで、完全に降参していく。



負けに負けていく。



神の愛の中に全てを委ねる。



幻想へのしがみつきを完全に辞める。



ただただ、これだけなんだ…。



真に目覚めるまでは、この抵抗を認識し光に捧げ続けて、イエスに全てを委ねる。




イエス、いつも教えて下さり有難うございます。




神の愛の中で幸せだったと自覚するために、導いて下さり有難うございますm(_ _)m




奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。