真の愛とは何か?~覚者・アジャシャンティより~
禅 空を生きる
アジャシャンティ著より
(P158~160より)
それは真理と同じ愛です。
その愛が存在するところに真理が存在します。
真理が存在するところに、その深い愛という絆が存在します。
イエスに関する多くの逸話は愛の存在を物語っています。
彼の周囲の人々は愛に値しない者について彼に訴え続けました。
「この売春婦には石を投げ続けるべきです。神はその様な人間を愛さないでしょうから」。
しかし愛と深く繋がったイエスは、その愛が相手を選ばないことを知っていました。
それは相手が善人や高貴な身分だからという理由で注がれる愛ではありません。
それはただ在り、すべてのものをあまねく愛するものなのです。
イエスの奉仕のほとんどは真実の愛を土台にしてなされました。
その愛はイエスの死に対して責任ある人々に対してさえも示された愛です。
彼は、「父よ、彼らをお許しください。彼らは自分がしていることが分からないのですから」と言いました。
死に直面したときでさえ、止むことのない愛から言葉を発したのです。
マインドはこう告げるかもしれません。
「おい、彼らは私を殺そうとしている。私には彼らへの愛を差し止める権利がある」。
しかし真理は、その法則に沿っては動きません。
つまり愛はマインドが作り上げるゲームには加わらないのです。
いずれにせよ、それはただ愛するのです。
誤解しないで下さい。
その愛はあなたが崇高で神聖なる価値ある人になることとは何の関係もありません。
それはすでに存在している愛です。
それは今でもここにあり、これから先もずっとここにありつづける愛です。
それは単純明快な愛なのです。
あなたは分離した自己であるという任務を上手にこなすために、その愛の価値を低く見なければなりませんでした。
しかし愛は今だに存在していたのです。
あなたのマインドが決して愛さないような人々やあらゆるものをあなたが愛していると気づくことはもっとも偉大なる恐怖です。
おそらく死よりもさらに大きな唯一の恐れとは愛、それも真実の愛でしょう。
あなたがすべてを愛することができると気づくことはー
それはあなたの本来の性質なのですがーあなたの中のすべての分離の終焉のはじまりなのです。
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