2019.10.22 03:16真のコミュニケーションへの導き奇跡のコースの実践を始めて、起こってくる思考・感情を見つめ、それを表現するという事を続けてきた。でも、始めは抑圧していることすら気付かず、その奥を見つめていくとまだその思考・感情を全て見つめる事が出来ていなかった事に気付いて驚くということが起こる。そして、実践を続けながら、更に奥深く…奥深くと見つめていくと、神から分離したと信じる信念が故の罪悪感、恐れ、無価値感、憎悪、惨めさなど……とてつもない暗くてドロドロした強烈なものがあったと驚かされる。ケネス・ワプニックさんも仰っていたが、それは徐々に見つめて光に捧げていくことが必要であり……一気に見つめると強烈な恐れ(罪悪感)により、奇跡のコースの本を投げ出してしまいますと教えて下さっています。そして、その奥の奥を見つめていき、兄弟に表現するという幻想に導かれてきた。そして、昨年の神奈川県10月のカースティンリトリートに参加したときに、なぜ、個人の私の起こってくる思考・感情をしっかりと見つめ表現した方が良いのかというのが更に腑に落ちた。それは、カースティンが私を見つめる目が、まず個人の私、身体である私を見ていないということが伝わってくる。それは、本当に驚きでもあり、自我の私からすると今まで私と思ってきたものを見透かされている様な感覚もあり脅威でもあった。そして、起こってくる自我の思考・感情をこちらが臨場感を持って表現しても、その話に共感したりアドバイスをしたりという事はない。だから、その個人の私が表現している内容を聞いても…「それは本当のあなたのものではないですよね」という問いかけの様なニュアンスでいつも答えて下さり、個人の私がリアルにしようとしていたものは「無」だったのだとの気付きに終わる。そして、それがリトリートの時はカースティンや参加している兄弟なのだけれども、イエスが更に深い所に沈んでいた自我の強烈な闇を浮上させて完全に「無」と消えていく様に、兄弟と見つめ合うように導いて下さる。そして、それが今一番近い兄弟はネパールの彼であり、起こってくる思考・感情を正直に相手に表現するという事が自然発生的に起こってくる。そして、悪くも良くも見える様な映像が展開されても、勝手に深い所から憎悪、勝ちたさ、攻撃心、罪悪感、恐れなどがどんどん浮上してくる。そして、自我はこれを言いたくない…と必死で沈めようとするが、まるで火山が噴火したようにゴォーゴォー出てきて言うという事が起こる。ただ、幸いな事に、彼も奇跡のコースのツールを通して実践をしているので、それを聖霊と1つとなって見ようと祈りや赦しに入ってくれる。そして、それは共に一者の闇を見つめることになり、「無」へと消えていき浄化される事に気付く。すると、浄化すればするほど、イエス・聖霊の声の邪魔をしなくなるので、イエスの導きを受け取りやすくなる事にも気付く。先日も彼に起こってくる自我の強烈な思考・感情を吐き出したあとに彼から、このやり取りは、(分離した)私とあなたの関係ではない神との関係のみなのですとはっきりと言われた。それは、個人の彼が言ってるのではなく、「私が何者か?」を思い出すために、聖霊が言って下さっているのだと、感謝でしかなかった。どんな映像、思考、感情が起こってきても、それは起こっては消えていくものであり真実ではない。真実は、神のみで在り、私の本性は、永遠に幸せな神の子のみで在る。イエスは、常にあなたはそれなのですよ。常に幸せであっていいのですよ。全て私に任せて下さい。と仰って下さっている。本当に有難いことです。その声だけを聞いて、あなたが私にさせたいことのみに従いたいと意志します。ありがとうございます。奇跡を生きる ~Love&Light ~目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。フォロー2019.10.23 02:50真の目覚めへのガイダンス2019.10.14 03:35奇跡のコースの合宿でした0コメント1000 / 1000投稿
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