真実の私は自由である~偶像を越えて~
昨日、奇跡のコースの実践仲間と、自我が掴んでいる「特別性」や「偶像」についての話をしました。
自我が真実(神の愛)を否定するために、外側の神の代替(偶像)を強烈に欲しています。
例えば、
この人と恋人になれたら私は幸せになれる
この人と結婚したら幸せになれる
この資格を取ったら会社の人に認められる
この様な仕事が出来たら認められる
この様な容姿になれば愛される
など、真実は、完璧なスピリットなのに、自我の欠乏感がゆえに、これを手にしたら埋められる…と強烈に信じています。
そして、それは神から離れた私は罪がある…や、私は無価値である…という罪悪感や無価値感から、外側を使って満たそうとしている状態です。
私自身も、外側の偶像を常に信じ、それによって満たされると…信じていました。
そして、今も心を見つめると、自我の偶像をリアルにし、それを強烈に欲していることを認識します。
ただ、真実以外の偶像を欲することを、急に辞めることも出来ませんし、直ぐに辞めなければいけないということもないのです。
その真実以外の偶像を欲している…
その偶像によって満たされている…
という自我の誤った信念や欲求に気付いて、光に捧げ、「真実のみを見たい」と聖霊に心を明け渡すことが大切なのだと実感しています。
すると、私の実感ですが、
そのリアルにしていた偶像と、私と思っていた私の境界線が少しずつ無くなり、それは「無」であり、既に満たされているという…心の平安が取り戻されていきます。
偶像が私を幸せにしてくれるのではなく、その偶像が「無」であったと聖霊に見せていただく。
改めて、兄弟との話を通して、更にじっ感することが出来ました。
ありがとうございます。
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奇跡講座テキスト
第30章4.6
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