ゆるすとどうなる?~心の在り方の変化~



赦しの実践を続けて、最近実感することがあります。



それは、奇跡のコースのシェア会を主催させていただいているのですが、


その他にインナーチャイルドセラピーや交流分析を受講したい…という兄弟の方が来て下さった時、


その兄弟のストーリーを、以前の様にリアルに捉えていない事に気付かされます。



そして、私の心の中ですることは、来て下さった兄弟も、神の子(愛)で在り、聖霊と共に真に見させていただく。



そして、個人の私がそれをするのではなく、身体の私は器の様なものであり、聖霊が必要な事をなさって下さる。



心を聖霊に委ねる、信頼することがとても大切なのだと…


心の在り方が変化している事に気付かされています。



そして、兄弟を聖霊と共に見るという訓練の一つ、


目覚められているデーヴィッド・ホフマイスターのコミュニティで共に活動をされているカースティンのリトリートで、


相手が何を話しても、ただそれを聞くだけで、心の状態は、「私はスピリットです」と祈りの状態で居る事という実践をしたのですが、


その実践を思い出しては、日常生活の中で、家族、友達、会社の人、仕事で出会った人などとコミュニーケーションを取る時に、心の中ではその祈りの状態を続けていました。



ですから、その実践の結果として、兄弟の特にネガティブなストーリーを聞いたときに、心配、悲しみ、恐れという感情や、

「私」がこのツールを通して少しでも楽にしてやらなければいけない…という思考を掴まなくなったのだと確認が出来ています。



この目覚めの道は、自我の分離を保持し続けたい…という執着が強すぎて、それがどれだけ手放されてるのか分かりにくい実践ではありますが、


以前と同じ様な兄弟に会ったり、状況が同じ様な事が起こった時に、


心の在り方、捉え方が変化していることに気付くことで…



赦すことで、確実に自我の誤った信念が訂正されているのだなと気付かされます。



それは、聖霊への信頼と比例しているなと実感させられています。



もちろん、ストイックな見方をすれば、奇跡のコースは真理か幻想か、100か0か、完全に目覚めているか、目覚めていないかの2つに一つなので…


普遍的な心の平安を実感していなければ、まだ自我を掴んでいるという心の状態なのですが、


自分の赦しの意欲の分だけ、確実に訂正されているのだと、励みになりますし感謝の気持ちも溢れてきます。



そして、何よりも「私」から既に目覚めているという気付きに必ず辿り着くのだと確信が深まっています。


「私は何も分からない」と引き下がり降参して、聖霊にすべてを委ねる。



実践の中で、自我の抵抗、恐れを認識しますが、聖霊の声のみを聴き、それのみに従いたいと意志します。



完璧なお導きを有難うございます。



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。