自我の「特別な愛」を見つめる~娘とのレッスン~




先日から、娘が家に帰省して、跡講座入門編でケネス・ワプニックさんが伝えて下さっている、下記の内容がインスピレーションとして入ってきたので、再度読み直しました。




『この世界を動かしているのは、この罪悪感と攻撃のサイクルであって、愛ではありません。


もし誰かがこの世界は愛によって動いていると言うなら、その人は自我についてよく知らない人でしょう。



愛とは、神の世界のものであり、その愛をこの世界で反映することは可能ですが、この世界に愛の居場所はありません。』

(88ページより)




自我は、



○○によって、幸せな気持ちになる。


○○によって、不幸せな気持ちになる。



という解釈を繰り返しているのであって、自我は「愛」は、外側の誰かによって満たされたり、失ったりすると信じています。




そして、ここ数日間、娘を通して自我の「特別な愛」によって、私の欠乏感を埋めようとする自我を見つめ、


まだ、その特別な愛を完全に手放していない事を見つめ、光に捧げるという赦しをしていました。



この特別な愛は、自我にとっては心地好く、手放しにくい愛でもあります。



でも、その心の状態の愛は、「自我の神から分離した」という信念を掴んでいるので、


欠乏感を信じていて、その欠乏感が満たされていると信じることになります。



でも、自我を掴んでいる限り、欠乏感が無くなることはないので、


その特別な愛は、永遠ではなく…いつ失うか分からない、又は○○をしているから愛されるという条件付きの愛でもあるので、根底では恐れを感じています。



ですから、自我はそれが「愛だよ」と囁いてきますが、聖霊は『本当の愛は永遠で在り不変だ』と教えて下さいます。




ですから、


「私は、○○の愛によって満たされている」という心の状態は、自我の自己騙しであることに気付いて、


『あなたと共に真の愛を受け取る事が出来るように助けて下さい』と祈ります。




真の愛とは今ここにあり、


心が自我と同一化している時は、常に探さないといけないと信じていますが、



聖霊と共に心がある時は、聖霊と共に必要な事をさせていただきながら、その愛を受け取るという心の状態なのだと実感することが多くなってきています。




そして、その心の状態の時は、「分離した私」が消えているので、心はジャッジのない穏やかな感覚を感じています。



この数日間の娘との「特別な愛」のレッスンで、赦しの機会をいただく事が出来ました。



真実は、つねに神の愛の中で満たされていることを教えて下さり有難うございます。



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。