他者に思うことは自分に思うこと~聖霊の導き~




先日、以前に心理学を習って下さった兄弟から、お家に招待していただきました。



そこで、その兄弟が仰っていたのが、私、最近嫌な事もありましたが、



その起こってくることはただの事実というだけで、結局私がそれをどの様に捉えるか…だという事が腑に落ちました


と、シェアして下さいました。




私もこの言葉は心に響きました。




奇跡のコースでは、世界を見るという意味は、どのように私の心が解釈するのか?又はどのように捉えるか?ということです。とワプニックさんが伝えて下さっています。



ですから、奇跡のコースでいう「見る」とは、肉体の目で見るという意味ではなく、心が自我・聖霊のどちらを教師として、世界を解釈するのか…だと教えて下さっています。




ですから、最近日常の中で兄弟を通して赦しの実践をしていると、



自分の思い通りにならない兄弟を心で攻撃している自我を認識したとき…





おまえは罪人だ


おまえは価値がない


おまえは神の子ではない


おまえは愛ではない



と私が私自身に、思考の中で言ってるに過ぎないのだとの気付きがあります。




なぜなら、外側は本当は存在しておらず、文句または攻撃をするという相手はおらず、すべてが一つだからです。



ですから、赦しの実践の時に、私は自分自身で何をやってるんだろう…という笑いが起こってくることもあります。



ですから、心が自我と共にあるとき、とても深刻になりますが、



心を聖霊に明け渡したとき、深刻さが消え去ってゆき、微笑みと共に心が穏やかになります。




この事を、兄弟のシェアで、改めて気付くことが出来ました。



聖霊からの答えは常にきているのだと…聖霊への信頼が深くなってゆくことを実感しています。




いつも、ありがとうございます♡




……………



奇跡講座

第27章8.5より



↓↓



世界がこれまで見てきた夢のすべての結果から、あなたはどれほど脱出したいと思っているのだろうか。



いかなる夢も、自分がしていることの原因であるように見せたくないと、あなたは願ってるだろうか。



それならば、単に、夢のはじまりに目を向けて見よう。



なぜなら、あなたが見ているのは夢の第二の部分にすぎず、その原因は第一の部分の中にあるからである。




眠っていて、この世界の中で夢を見ている者は誰も、自分が行った自分自身に対する攻撃のことを覚えていない。




自分が肉体について何も知らなかったときのことや、こうした世界を実在するものとして思いつくことさえできなかったときが、実際にあったとは、誰も信じていない。




その時になら、こうした考えが一つの幻想であって、あまりにもばかげていて笑って退ける以外にないということが、すぐにわかったことだろう。




そして、そのような考えがなんと深刻なものに見えることだろう!




そして、そのような考えが一笑に付されて、信じられることのなかったときのことを、誰も思い出すことができない。




私たちはそれらの原因を直視さえすれば、恐れの原因ではなく、笑みを浮かべる理由を見ることになるだろう。



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。