自我を近所の子供のように見なさい~自己なき自己より~




【自己なき自己より】 


マラカント・マハラジとの対話

70ページより



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マハラジ:

ニサルガダッタ・マハラジがよく語っていた。


いい話がある。


隣の家の子供が深刻な高熱を出して苦しんでいた。


あなたはその子供を大変、気の毒に思う。


子供の熱はとても高かったが、あなたにできることはない。


あなたはその子とその家族に同情するが、それと同時に「この子は私の子ではない。これは近所の子だ」と知っている。


これと同じように、この体、あなたの体も近状の子供かであるように考えなければならない。



質問者:

つまり、あなたの体は近所の子供のようなものということですか?


体は自分のものではなく、誰か人のものだというふうにみなさなければならないということですか?



マハラジ:

そうだ。この体、五大元素からできている体は近所の子供だ。


あなたは何か不快な感情を感じたり、恐らく悲しみや哀れみすら感じる。



しかし、それと同時にこれはあなたの子供ではないということも分かっている。



「私はこのすべてから切り離されている」。



あなたはそのように自分を納得させなければならない。



あなたは自分自身の建築家であり、マスターだからだ。



だから、体を近所の子供だと考えなさい。



すべての感情や概念は体を通して根付いているに過ぎない。



あなたはそれを観照し、経験している。



体が存在する前は何もなかった。



スピリチュアリティは、どうしたら次々と現れる問題すべてから抜け出ることができるかを教えてくれる。



体が存在する前、問題はなかった。



体が消えた後、問題はなくなる。



これを実践すれば、こうして体を所有している今も、これらの問題すべてから抜け出ることは難しくない。



あなたである究極的な真実の根本原理と共にありなさい。



あなたはこの世界の源だ。


あなたはこの全世界の源だ。



しっかりと安定することが必要だ。



それから、「私はこの世界とはなんの関係もない」という確信が必要だ。



他人の考えを借りてきてはいけない。



それは問題を生み、あなたの安定性を妨げるだけだ。



あなたとともにありなさい。



そして、そのすべてに耳を傾けなさい。



あなたの本を読みなさい。



それこそが最終版だ。




……………………………




以前、カースティンの奇跡のコースのリトリートに参加したときに、


自我を見つめなければいけないけど…


リアルにするために自我を見つめるのではなく、それは「無」なのだから、しっかりと見つめる。


私達は、完璧な神の子なのだから、自我を見つめるのは大切ですが、それをリアルにしないで下さい。


と仰ったことが、とても心に響きました。



それと、同時にリトリートやシェア会で感じることですが、起こってきた自我をシェアするときに、


自我がその表現することをリアルにし、「私はこのような事があった」と「個」のアイデンティティを強化するため、


又は自我の「私」の承認欲求を満たすためにシェアすることがあると気付かされます。



これは、あまりにも微妙な感覚なので気付きにくいのですが、シェアすることで「幻想」をリアルにする…という自我の誘惑だと気付かされます。



ですから、マラカント・マハラジが仰っているように、『体(自我)を近所の子供のように見なさい』という表現は、


自我が「無」だと気付くために、ジャッジせずに、しっかり見つめるという心の実践にとても役に立っています。



聖霊が、マラカント・マハラジを通して真実を指し示して下さいました。



いつも、完璧な導きをありがとうございます。

奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。