病気によって苦しむかもしれないという赦しのレッスン




3月に息子がコンタクトショップの検査で、「緑内障かもしれない、精密検査に早めに行ってください」と言われました。



そのコンタクトショップの帰りの車の中では、息子自身、主人が緑内障初期なので、緑内障が治らない病気であり進行を止める治療しかなく、


最悪、失明する恐れもあるという病気だと知っていたので、私から見ると息子が落ち込んでいる様に見えました。



そして、私もそれを聞いた瞬間に、まだ20代なのに…という思考と悲しみという感情が起こってきました。



そして、その思考・感情を見つめると、涙と共に自我の存在論的罪悪感がゴォーと出てきて、聖霊に捧げ祈り、赦しました。



そして、息子が緑内障によって、「その症状の被害者である」や「可哀想」という思考が残っていることに気付き、その出てくる思考・感情もしっかりと見つめ聖霊に捧げました。




そして、息子が緑内障でも緑内障で無くても、「息子が病気によって苦しむかもしれない」という信念を訂正して下さい。



息子がどのように見えても、完璧な神の子であると見れるように助けて下さいと赦しました。



そして、赦した後にやってきた思考が、過去・現在・未来という時間はない



私は、既に終わった過去を今起こっていると信じている



そして、今起こっている事の未来を妄想して、それが「問題なのだ」と自分自身を騙し、分離維持のために苦しみを欲している




でも、それは「本当の私」では無いので、私がすることは、瞬間・瞬間、聖霊に「あなたと共に真に見れるように助けて下さい」と祈り、心が静かになったことを感じました。




そして、数日後、息子と緑内障の検査に行って、緑内障ではない…という結果が出ました。



息子に車の中で、今月が誕生日なので、「良かったね!これでハッピーなお誕生日が迎えられるね!」と言ったら、


「何で?緑内障という結果であっても僕はハッピーだよ」と息子は答えました。




その息子の言葉が聖霊そのものであり、息子の言葉を通して私達の本性を息子と分かち合う事が出来たのだと感謝の思いで満たされました。



今回の事で、大切なのは、やっぱり『世界を見る私の見方』であり、何が起こるかは聖霊にすべてお任せする。




そして、私は何が最善か分からないと降参して、聖霊がなさることを信頼することなのだと改めて実感しました。




聖霊、イエス


祈りの答えを下さり、ありがとうございます。



いつも、愛して下さり有り難うございます。

奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。