2021.04.08 04:00幸せとはなんでしょうか?~聖霊からのメッセージ~How to choose happiness奇跡のコースリトリート動画より3分6秒~フランセス↓↓しあわせとは何でしょうか?もう少し深く見ていけますね。しあわせの類義語は沢山あります。しあわせの類義語は、喜び、そして気楽さ、平安、それに愛もそうだと言えますね。私たちは、普段あまり、しあわせと結びつけて考えないけれど…健やかさとも考えられますよね。また、つながりとも。しあわせは、また「夢を見ているという気づき」の類義語であり、そしてキリストとの一体感の類義語でもあります。しあわせは、自分が分離した自己であるという信念の領域には、存在しないのです。ですから、しあわせが、私の仕事や家族、身体の健やかさにあるかと言えば、実際はありません。分離した個別の「私」に、家族がいる、仕事がある、そして身体があるという仮定において、そこには、幸せなどないのです。「私は一度も幸せだったことはなかった」と自分で認めたことがあるのですが、それを、自分で認めるのは辛いことでした。そして時々、私がその話をすると、皆さんよくこう言うのです。「まぁ、どうして?子供の頃にトラウマになったことでもあるの?」「愛情をもらえなかったの?」「両親から愛されなかったの?一度も幸せだったことがないなんて、どうしてなの?」いい質問ですね。幸せではなかったんです。トラウマもないですし、とても普通の子供時代を過ごしました。でも、死の恐れに苦しみましたし、愛する人が死んだり、病気になったりする可能性にも苦しみました。また、見放されたり、疎外される可能性や、人が心を痛めているのを見る可能性、欠乏や制限の経験にも、苦しみました。このような分離した自己の世界に、一体、幸せはあり得るのでしょうか?ほんとうに。もし、答えが「NO」であるなら、「手放すこと」の何がそれほど難しいのでしょうか?…………フランセスさん、有り難うございます。私自身も、2011年のある現象により、輪廻転生があるならば、もう人間として生まれ変わりたくない!という思考が起こってきました。自分でも、その思考に驚きましたが、その時期から「本当の幸せとは何なのか?」結局、今まで自分が生きてきた世界の中の幸せとは儚いものなのだと認めることが出来たのだな…と実感しています。そして、真の目覚めを目的とした実践の中で、「私は身体だ=分離」という信念を持っている世界で本当の幸せを得ることは出来ないのだと認めました。ただ、自我は、外側で幸せを求めるために、あの現象や兄弟が、あなたの欠乏感を埋めて幸せにしてくれるよ~と囁いてきますが、そのフェイクな幸せを求めようとする自我の自己騙しに気付くようになりました。又は、真理と違うものを私は創造出来るという自我の傲慢さもはっきり見えます。ですから、私が心ですることは、自我の外側に対する執着、真理を否定し続けようとする執着を見つめて、聖霊に助けを求める神の中で幸せで在ることを思い出させて下さいと、本気で頭を垂れて祈る。そして、目に見ることは出来ませんが、聖霊が自我の誤った信念を訂正して下さっていると信頼する。この繰り返しだと実感しています。そして、ここ最近、更に聖霊が共に居て下さること、この世界を使って真実を指し示して下さっていることを実感しています。この事も、これから書き続きっていきたいなと、インスピレーションが来ています。聖霊、イエス、全一なる神さまいつも、ありがとうございますm(_ _)m奇跡を生きる ~Love&Light ~目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。フォロー2021.04.10 01:08病気によって苦しむかもしれないという赦しのレッスン2021.04.05 00:42真実を垣間見る体験を通して、感謝の思いに満たされる0コメント1000 / 1000投稿
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