目覚めへの実践の核となる探求について



アジャシャンティ

(自由への道または、真の目覚めの)探求には二つの側面があり、その両方を理解することはとても重要です。





第一の側面は、私が「後ろに向かって踏み出す」と言ってるものです。 



探求の第一側面の目的は、これまでの条件付けられた考え方を取り除くか、そこから一歩離れて見ることです。




回答を探すのではなく、これまでの条件付けられた思考・観念・信念を曝け出し、取り除いて、より深い実感を得るための道を作るのです。




例えば、そのような観察を通して、あなたは自分がマインドの中にある考えと同一ではないことがわかるようになります。




あらゆる考えによるあなたというものの偽りの信念を取り除くことで、より深い理解が湧いてくるための空間を作るのです。



マインドの偽りの観念を曝け出して追い払うと、いつでも存在の静寂の中で静かに止まっていられます。



自由への道

アジャシャンティ著より


……………




覚醒者であるアジャシャンティは、真の目覚めについて教えて下さっています。



スピリチュアルでも、真理を目的としているか、スピリチュアルを使って、世界や兄弟をコントロールするという自我を掴んでいるのか…



自我の視点で見ると、自我の誘惑や心の中での自己騙しをストレートに分かりやすく教えて下さっているので、自我が恐れていることも認識することもあります。




そして、アジャシャンティが書いて下さっているように、自我の信念から発生するこれまでの条件付けられた思考・観念・信念を曝け出すことが大切だと書いて下さっています。



これは、奇跡のコースを実践して気づいていますが、自我を見つめると、


どろどろとした思考・感情があることに気づかされます。



それは、世界が無くても、私が神から分離したと信じる信念によって起こる思考・感情(悲しみ・恐れ、憎しみ・怒り・欠乏感・罪悪感)があることに気づかされます。




ですから、その自我の根底を直視することは、まるで人間として最低最悪な人間になったかの様に感じさせられます。




そして、それは「良い人間にならないと愛されない」という誤った信念によって、隠し持っている信念になります。



そして、更に深く言うと、真理を否定するために、それを見ないように心の奥深くに沈めています。



でも、それを見ないまま真に目覚めることは無いと気づかされています。



なぜならば、それは真理を見えなくする防壁・壁なので、見ない限りは真理が見えないままになります。




でも、赦しの実践を続けていると、そのどろどろとした思考・感情は、出てきては無に消えるものであり、


本当の私で無いということが腑に落ちてゆきます。




そして、心の中心から聖霊と共に、その通りすぎる思考・感情を見つめることが出来るようになります。




そして、それと同時に、その奥に無限に広がる神の愛(真理)を心の平安を通して実感するようになります。




そして、分離の信念が訂正されてゆくと共に、心の平安(神の愛)がリアルになっていくのだと、確信になっています。




アジャシャンティ、有難うございます。


心より感謝いたします。



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。