兄弟を喜ばせようとしない~愛or恐れの選択~


奇跡のコースの教師、デーヴィッド・ホフマイスターのコミュニティ「リビング・ミラクルズ」で決められている2つのこと。




・兄弟を喜ばせようとしない



・プライベートな思考を持たない





この2つの中の1つ、「プライベートな思考を持たない」というのは、自分のマインドから起こってくる思考や感情を抑圧したり、隠すことなく正直に出させてあげる。



そして、その正直な思考や感情を聖霊と共に見つめることで、それは本当の私のものではなく、「無」である事へと気づいていくということが分かります。




そして、もう1つの「兄弟を喜ばせようとしない」という決め事も本当に赦しの実践をしてゆくなかで、とても大切なのだと実感させられています。




なぜならは、兄弟のご機嫌を取ろうとしたり、兄弟を喜ばせようとすることは、「私は愛されていない」=「愛されるために喜ばせる」



という、自我の欠乏感から、表現・行動をしようとしている事に気づかされます。





そして、その自我の源から表現し行動した後に、例えその瞬間は兄弟が感謝し、喜んでくれたとしても、また「愛されなかったらどうしよう」「愛されるためにどうしよう」などの欠乏感がなくなることはありません。




ですから、私がすることは、私の心が自我を選択していると気づいて、



私は自我の欠乏感・罪悪感から、兄弟を喜ばせようとしています



私は間違っていました




どうぞ、何をすべきか教えて下さい



私には、何も分からないので、あなたがなさって下さい




と祈り、心を静かにします。





すると、すべてを知っている聖霊が何をすべきか、インスピレーションなどで教えて下さいます。




これは、心のトレーニングであり、直ぐに出来るものでもなく、やっぱり心が自我を選択して、表現し行動してしまった…という失敗は何度も何度もあります。



ですから、一生をかけてするという意欲を持って持続していく心のトレーニングでもあり、



あまりにも、今まで心が自我と同一化して来たので、トレーニングをしたからすぐに出来るものでもありません。




でも、私から目覚めるという目的を意志し、心を見つめて、自我を選択していたという事に気づき、聖霊に心を明け渡すという赦しの実践を続けることで、



聖霊と共にあるという心の状態は少しずつ長くなってきていることを実感しています。



それは、共に赦しの実践を続けてきた兄弟がその証人にもなって下さっています。




そして、今まで本当にリアルにしてきた外側には無かった、本当は言葉にもできない『内なる愛』を心で実感するという事が起こってきます。



そして、その内なる愛の反映を外側で受けとることが多くなってゆきます。




ですから、奇跡のコースで、既に私達は目覚めているのだけど、神の子だという事を忘れた神の子が、神から離れたという夢の中で、その夢から目覚めるという夢を見ているというニュアンスで書かれていますが、



この内容が実践の結果から、少しずつ実感が深くなってきていることも感じています。




イエス・聖霊



いつも、真実を指し示して下さって有難うございます、



愛して下さりありがとうございます。





奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。