私は世界の救済のために来た〜聖霊と共に〜



奇跡のコースの赦しの実践を通して、世界を救うとは、行動レベルで何かをするのではなく、私の心の中の「罪悪感」を聖霊に訂正していただき、聖霊と共に世界(兄弟)を見ることなのだと実感しています。



もちろん、行動レベルでも、誰かが困っていたらお手伝いをするや助けるなど、やりたいと思ったことを行動に移しても良いのですが、



本当の救いは、奇跡のコースでいわれている、結果(世界)の中ではなく、私の心という原因に戻り、




私の心の中の唯一の原因




「神から分離したという誤った信念」を聖霊に、それは起こっていなかったと思い出させていただく。




そして、その誤った信念が完全に訂正された時、


今ここに在る、神の愛を受け取る心の状態になるのであり、神の愛のみが在るという救われた見方で生きることになるのだと感じています。




ですから、私の心が自我と同一化して外側を見ると、沢山の人々にたくさんの問題があり、



人によって、原因が違うように見えますが、1人の心が『罪悪感=分離感』が完全に訂正されることによって、



私達は、既に救われている



又は、すべての兄弟がすでに目覚めていて、同じ神の子でしかなかったいう自覚を通して生きることになるのだと感じています。 




そして、世界の中で、私がすべき必要な事を聖霊が為さってくださると信頼が深くなってきています。




今日も、心を見つめ、イエス、聖霊とともに『真に見ます』と意志します。





ありがとうございます。



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奇跡講座ワークブック319



私は世界の救済のために来た





1

これは、あらゆる傲慢さが取り去られ、真理だけを残している考え方である。



傲慢さは真理に対立するからである。



傲慢さがないとき、真理は即座にやってきて、自我が嘘で満たさずにおいた空間を埋める。



限定されうるのは自我のみであり、だから自我は、半端で限界ある目標を追求せざるをえない。



自我は、ひとりが得るものは、必ず全体から失われると考えている。



しかし、ひとりが得るものはすべての人に与えられるということを私が学ぶことが、神の意志である。






奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。