愛の中で生かされている〜聖霊の導きを通して〜



ここ最近、自分が心の中で聖霊、イエスに尋ねてない時でも、イエスがインスピレーションでメッセージを常に送って下さっていることの実感が深くなってきました。



例えば、家で作る食材を買っている時でも、これ買いたいという思考が出てきても、手にはそれではなく違うものを取っていて、「何であれを手に取らなかったんだろう」と不思議に思っていたら家にその食材があったり、



友達と会う約束をしていて、これを友達に持っていくといインスピレーションが来たので、それを持っていったら、友達がちょうど買おうと思っていたんだけど、なぜか…買わないでいいか。と思ったんだよね…など。



こういう事が起こり、ふと、家で心を静かにしている時に、心をイエスに委ねれば全部必要な事を取り仕切って為さって下さっているのだと、感謝と共に涙が溢れてきました。



そして、今まで心の中で分離した「私」がやっていると自我と同一化している時は、本当に自分自身を行為者だと思っているので、


「私」がやった行動に対して意味付けをして良い・悪いなどのジャッジを常にしているなと感じます。



でも、心が聖霊と共にある時、行動自体に意味を付ける必要はなく、目覚めると意志した目的に対して必要な事が最善で為されていくのだという信頼と、


神の愛の中で生かされているという謙虚さと感謝の思いの中で受け取らせていただくという心の状態であることに気づきます。




以前、デーヴィッド・ホフマイスターさんが、聖霊からのメッセージで、「皆を愛しなさい」というメッセージもあれば「今日鍵を忘れたでしょう?」というメッセージもあると教えて下さっていましたが、


メッセージそのものに意味があるのではなく、イエスに心を委ね従うという状態が信頼と喜びになっていくのだと…最近の実践を通して実感しています。




そして、ケネス・ワプニックさんも仰っていましたが、聖霊のガイダンスは目覚めのための時間短縮の1つなのだと教えて下さっていました。


奇跡のコースの教師である先人の方々が、実践を通して真実を指し示して下さっていることに感謝でしかありません。




今日も、心を見つめ聖霊に心を明け渡し、「あなたが私にさせたいことのみを受け取り従います」と意志いたします。




いつも、有難うございます。





奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。