相手の自我にどの様に対処すべきか?



先日、奇跡のコースの実践を始めたばかりの兄弟が、相手の自我にどの様に対処したらいいか分からない…とシェアして下さいました。



そして、その兄弟に、今あなたは自我だ!と分からせたいという思考が出てくると言われていました。



その様な思考は、私も赦しの実践をしていて出ることはあります。



同じ奇跡のコースを実践している兄弟に、赦しの目的で言う事はあっても、奇跡のコースや赦しの実践をしていない相手に言うという事はありません。



ですから、例え相手が自我から私に表現したとしても、私がすることは、聖霊に心を委ね、何をすべきかを聖霊に教えていただくこと、または為さっていただくこと。



ですから、心では、



聖霊教えて下さい



聖霊為さって下さい



という短い祈りによって、聖霊がその瞬間の最善を為さって下さっている事に気づくこともあります。




そして、私の心が自我を選択したまま表現してしまったという失敗も目覚めの過程では多くあると思います。



でも、それは次の瞬間には通り過ぎたものなので、今この瞬間を赦す。




この繰り返しのみなのだと実感しています。




そして、奇跡のコースの教師・デーヴィッドホフマイスターも、



兄弟を分析する必要はない



と仰っています。




ですから、毎瞬、私の心を見つめ聖霊に心を明け渡す事こそが、神の愛の中で幸せで在ることを思い出す近道なのだと実感しています。



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自我にとっては、誤りを指摘して「訂正する」ことは親切なことであり、正しく良いことである。



誤りとは何か、訂正とは何かを自覚していない自我には、これは完璧に意味をなす。



誤りは自我に属するものであり、誤りの訂正は自我を放棄することにある。



兄弟を正そうとするとき、あなたは彼に間違っていると告げている。



その時点では彼は意味の通らないことを言っているかもしれない。



そして、彼が自我から語っているのであれば、彼が意味のなさないことは確実である。



しかし、それでもあなたの任務は、彼は正しいと彼に告げることである。



彼が愚かなことを語っているのなら、あなたは彼が正しいと言葉で告げることはしない。



彼の誤りは別なレベルにあるので、彼には別なレベルの訂正が必要である。



それでも彼は神の子であるから、依然として正しい。



彼の自我は、何を言っても、何をしても常に間違っている。



奇跡講座テキスト

第9章3.2

奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。