私とあらゆる場所のすべての存在は同時に自由を覚醒した〜仏陀〜





仏陀は目覚めるとすぐ、「私とあらゆる場所のすべての存在は同時に自由を覚醒した」と言いました。



慣習的マインドから見れば、これは理解し難いことです。



すると誰かが、こう言うかもしれません。



「もしあらゆるものが目覚めたならば、それならなぜ私は目覚めていないのか。もし仏陀が目覚めたとき、全世界が目覚めたということが正しいとするならば、それならなぜ私は目覚めていないのか」。




私は仏陀の声明を、習慣的マインドに的確に説明することができません。



仏陀が目覚めた時に伝えようとしたことは



一目覚めたのはこの人ではないー



目覚めたのは全体性である



ということでした。





''全体性''が仏陀の存在を通じて、目覚めを表現していたのです。




重要なことは、全世界が目覚めることをゆるすことです。




全世界が目覚めることをゆるすことの一部は、全世界は自由であり、そしてあらゆる人はあるがままでいる自由がある、ということを認めることです。




全世界が自由にあなたに賛成したり反対したりするまで、あなたがあらゆる人にあなたのようである自由やあなたのようでない自由、



あなたを愛する自由や憎む自由、あなたが彼らを見るように物事を見る自由や異なって見る自由を与えるまで、



つまりあなたが全世界にその自由を与えるまで、あなたは決して自分の自由をもつことはないでしょう。



これは目覚めの重要な部分であり、簡単に見逃してしまう部分でもあります。




もう一度言えば、もし私たちが完全に目覚めているなら、これを見逃すことは不可能でしょう。



しかし、たいていの人は一度に目覚めないのです。 



自由の概念はとても重要です。



あらゆる人が今あるがままでいるのです。



あらゆる人があるがままでいることをゆるされるときだけ、つまりあなたが彼らにその自由、彼らがすでにもっている自由を与えるとき初めて、あなたは自分自身の内部に、正直で現実(リアリティ)で真実である能力を発見するのです。




私たちは他人が自分に賛成することを期待したり、賛成して欲しいと思ったりしている限り、真実にはなれません。



たぶん彼らは私が言うことは好まないだろう、たぶん彼らは賛成しないだろう、



たぶん彼らは私をならないだろうというようなことは、私たちを収縮させる原因となるでしょう。



私たちが自分自身を防衛しているとき、私たちはまた他の誰かへも自由を保留しているのです。



自分があらゆるものとして、あらゆる人として現象化している、一つしかない唯一のスピリットであることに私たちが覚醒するとき、そのまさに覚醒の本質の中で、



あらゆる人のための完全な自由があるのです。





あなたの世界の終わり

P83〜84

奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。