心を完全に明け渡すと、身体は愛を表現する道具となる



赦しの実践をしてると、自我を源とした思考・感情が出てくることが悪いとジャッジする自我が当然といっていいように出ます。



私も、赦しの実践を始めた頃は、その様にジャッジしていました。




ですが、赦しの実践を続けていると、自我が出てくる事が悪いのではなく、それを「私が考え感じているのだ」と自我と同一化していること、


それを心の中で「私だ!」と掴み続けていることに気づき、それを聖霊に捧げ、聖霊と共に無へと消えてゆくことを見送らせて下さいと祈る




そして、聖霊はその思考・感情そのものが出てくることに問題はなく、その背景に在る全一性が、神(愛)で在り真実だと教えて下さっています。




そして、心の平安を通して、その自覚を心に取り戻して下さる。




ですから、自我を「私だ!」と言い張ることを完全に辞めるレッスンをさせていただいているのだと実感しています。




そして、掴むことを辞めると共に、聖霊の声を受け取れることが多くなってゆきます。





そして、




それは、私が私の考えでやっているのではなく、全一性の表れとして、私の身体を通して表現される




その状態に、心を完全に明け渡す。




この事を、聖霊が更に強く、強く教えて下さっていることを感じます。




私の力と思っていたちっぽけな嘘の力を手放して、




神の計画が為されるように、心を完全に明け渡しますと改めて意志します。




いつも、有難うございます。



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。