真の目覚めは自分の望む完璧な人生にすることではない〜委ねるとは〜



奇跡のコースというツールに出会って、9年目になりましたが、


奇跡のコースに出会う以前のスピリチュアルを実践していた時と、導きが変化したなと実感しています。




そして、それは「視点の変化」だとも感じています。




奇跡のコースに出会う前は、思考の現実化や引き寄せの法則というスピリチュアルな実践を使って、自分の望む人生にするという目的で実践をしていました。




でも、奇跡のコースに出会い、更に深く心を内観する導きがあり、


本当に自分の心を見た時、自分が分離した「個」であり「身体」と認識している時は必ず、罪悪感・欠乏感・恐れが常にあることに気づきました。




そして、それを外側で埋められると自分自身を騙し、内なる真実を見ないようにしていた心の動きに気づくことができました。




そして、それと同時に、外側に私を幸せにするものは無いという事にも気づくことが出来ました。




だから、



「この様な人生にしたい!」という目的は、自我の目的であり、幸せの無い所に幸せを求めることをしているのであり、全く意味がないことをしている。



でも、あまりにも自我の分離維持への執着が強烈で、外側に求めることを辞めることが出来ない。



だから、私がすることは外側に求める心の動きを見つめて、それを辞めたいと意志すること。



そして、真実を忘れた私は何も分からないので、真に見ることが出来るように助けて下さいと聖霊に祈る。



すると、心を明け渡すことで、聖霊が最善を為さって下さいます。



その聖霊の導きは、自我の理想とする導きとは違うこともあり、実際に私自身も、この様に目覚めたい…と望んでいる導きとは違う導きがきています。



例えば、今まで好んで出来ていた仕事が出来なくなって、したくないと思っていた仕事をしたり、人生を共に歩む兄弟が突然変化したり…



ただ、実際にその導きを受け入れて行動したことで、私の中でこんな信念があったのか!…と今まで見えなかった自我の誤った信念が浮上してきて無へと消えてゆくという事を体験しました。



そして、それと共に心が軽くなり、聖霊への信頼と感謝の思い、



そして、現象レベルでどの様な事が展開されても、本当の私は神の愛の中で生かされているのだと頭を垂れるような感謝の思いが、心の中で広がってゆくのを実感しています。




ですから、真の目覚めへの道は、本当に心の中で「私は何も分からない」と降参することによって、聖霊が為さってくださるあるがままを受け入れる事ができ、



内なる愛の気付きが広がってゆく生き方に変化していくのだと深く実感しています。



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目覚めは、私達の内部と外部の人生の両方で変容を引き起こします。



繰り返しますが、この変容を完璧な人生、完璧な仕事、完璧なパートナー、完璧な結婚、完璧な友情を持つことについてだ、と考えてはいけません。



これは完璧さについて、ではありません。


それは全体であることについてです。



それは、まさに自分の望むように物事をもつことについてではありませんが、


それはまさに物事のあるがままを経験することについてです。



物事があるがままであることをゆるすとき、調和の感覚が育ちます。



私たちの覚醒と人間としての自分とのギャップが、だんだん小さくなります。



覚醒と表現、目覚めとその実現の間に、途切れのない継続が出現し始めるのです。



『あなたの世界の終わり』

アジャシャンティ著96ページより



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。