真の愛とは〜意味づけできない〜



奇跡講座テキスト

序文より

↓↓



このコースは愛の意味を教えることを目指していない。


それは教えることのできる範囲を超えているからである。


しかし、愛の現存を自覚できなくしている障壁を取り去ることはたしかに目指している。


愛の現存そのものは、生来あなたが受け継いでいるものである。  



……………………………



真の愛とは、ただ在るので、その自覚を邪魔している自我の信念を見つめて聖霊に訂正していただく。



先日、個人セッションで、ある兄弟が、真理の愛を「良い人にならないといけない」と自我から判断した自分になろうとする心の動きに気づいたとシェアして下さいました。




私も、赦しの実践を始めた頃は、愛ある人=良い人や優しい人という意味付けをしていたなと感じています。




そして、今も、自我の過去の概念や判断を通して、良い人や優しい人にならなくてはならない…という思考を掴んで行動しようとする事にも気付かされています。





又は、兄弟を見るときも、自我の愛(過去の概念)から、愛がある人、ない人と判断しようとする心の動きも見えます。




でも、



真の愛を忘れた私は何も分からない



と、降参しなければ、真の愛の延長をすることが出来ません。




なぜならば、愛に意味付けをした途端、心が自我と同一化し、その心の状態を深く見ると、



人を、喜ばせないといけない



私は、愛されないといけない



と、欠乏感からそれを埋めようとしたり…




または、〇〇をやってあげた私…と相手の欠乏を埋めたと、優越感を掴んでいることがはっきり見えます。




だから、赦しの実践が深くなればなるほど、



真の愛に意味付けは出来ない




ただただ、



真の愛を忘れた私は何も分からない



と完全降参し、聖霊に教えて下さいと頭を垂れて、完全に心を明け渡す。




そして、聖霊が最善を為さって下さる。





この心の状態が真の愛の延長であり、




真の愛とは、「ただ在る」




のだと、実感が深くなってきています。






兄弟とのシェアを通して、分かち合えたことに心より感謝します。




イエス、聖霊



真実を指し示して下さり有難うございます。




奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。