頭がない男~プチ合宿からの気付き~


先日は2日間、カースティンの本を日本で出版するために、今、日本語で翻訳して下さっている真紀子さんが私の家にプチ合宿に来て下さった。



真紀子さんと初めてお会いしたのは、昨年10月の神奈川県葉山リトリートで、出身が福岡だという事で親近感が湧いた。



そして、今年4月のカースティン・フランセスリトリートの帰りに、帰りの電車が一緒になるという流れが起こり、電車の中で分かち合い、真紀子さんが、福岡に10月に帰省するという事もお聞きした。



そして、今回2日間2人でプチ合宿をして、奇跡のコースの実践を通してのシェアや祈り、出てくる自我の闇をシェアしたりした。



そして、真紀子さんが聖霊のガイダンスでやってきたダグラスハーディンさんの「頭がない男」のマンガ本もシェアして下さった。



この本の内容を読んで、奇跡のコースが指し示している真理と同じだと感じた。



私は身体と掴んでいるとき、私には頭という身体がありその目という部位で外側の世界を見ていると信じている。



そして、境界線を作り分離を強化する。



そして、それを掴んでいる限り、欠乏感、攻撃心、被害者意識、恐れ、憎悪が無くなることはない。



でも、頭が無いという視点から見たとき、境界線が無くなり、外に在ると思っていた全てがその気付きによって包含されている実感になる。



これも、体験を通して腑に落ちてくるものなので、言葉にするとずれる感覚が起こるが、「頭のない男」を通して、す~っと内側に響く感覚があった。



そして、マンガの中のスーフィー(イスラム神秘主義)の内容もとても響いた。





『私の静寂な「中心」のまわりで、天と地が回転している。



私は存在していない。



私は自分を放棄した。



私は無であり、神がすべてである。



神の存在以外、何も存在しない。』





聖霊は、幻想を使って、この瞬間・この瞬間、ただただ目覚めていることのみを教えて下さっている。



平安で在り幸せで在ることだけを教えて下さっている。




自我は、幻想レベルの私をリアルにして、目覚めを未来のものにして、それを達成しなければいけない!と目覚めに向かって行為する者をしがみ付かせようとするが、



瞬間・瞬間、聖霊が本性を教えて下さっていることを受け取ります。と改めて意志するのとが起こった。



そして、真紀子さんと私という分離した私達が合宿をしているのではなく、1つだと分かち合うために、聖霊が幻想を使って下さったのだと感謝でしかなかった。



ありがとうございますm(_ _)m

奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。