本当の人生を生きる


鎧を脱いですべての概念や脚本を手放したときのことに思いを馳せるとき、「私は望むものを手に入れられないかもしれない」とマインドは心配するかも知れません。



望むものを手に入れられないならば、それこそあなたは最高にラッキーだと私は断言しましょう。



あなたは欲しいものを手に入れられないだけではありません。



例え手に入れられたとしても、どうでもよくなるはずです。



私自身、自分が手に入れられるだろうと思い描いていたことで実際に手に入れたものを何一つ思い浮かべることができません。



唯一、起こったことといえば、私が何も気にならなくなったということです。



幸せになるためにはどうしてもこれが必要だと考えるのは悪夢の様な世界とも言えるでしょう。



あなたという存在の不可思議さを招き入れるのがサットサンです。



それはあなたという存在を押しのけて不可思議の意味を限定し、必要以上に神秘的にあなたを見せようとして真珠や花で飾り立てる、よくある「スピリチュアリティ」とは対照的なものです。




サットサンとは自分という意識がぷつりと途切れ、神秘なるものが「ああ、これが私だ。今まで私は日常や役割を自分だと思い込んでいた。私は自分を役者であり役柄そのものだと勘違いをしていた」という理解に至るまで自分自身を迎え入れることです。




それらの思い込みはまったく真実ではありません。




「私は人間である」という役割が終わることを私たちは「死」と呼びますが、肉体が死を迎える前にその役柄を手放して「今」にくつろがせてあげることのほうがはるかにたやすいのです。




サットサンを通して、あなたは「あなた」という永遠の存在に目覚め、本当の人生を生きることができるのです。




禅空を生きる アジャシャンティ著

P42~43より





サットサン

私たちがここに集うこと、すなわち「サットサン」の目的とは永遠不変の真理を知り、その真理とつながることです。(P35より)



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。