幸せは内側に在る~聖霊の導き~
2009年、瞑想をしている時に内なる声を聴いたとき、全てを知っている本来の自分に気付くことが出来ました。
そして、その本来の自分は安心の中に居て幸せのみなのだと実感しました。
それから、その後ダークな自分を見つめてその全てを受け入れるという事が起こり、内なる声を聴いて従うという事が続いています。
でも、自我は分離したという誤った信念を持ち続けたいので、内側に向かわせないようにします。
それは、自分自身の実践をしていても感じますし、個人セッションをしていても、実感しています。
目覚められたデーヴィッド・ホフマイスターが「覚醒のレッスン」の中で、自我の内側に向かわせないようにする抵抗について、分かりやすく説明して下さっています。
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内側を見る恐怖(P143より)
抵抗は、単に恐れの表現です。
ですから、「内側を見る恐怖」というこのセクションは役立つかと思います。
「エゴは単独で存在しているのではないことを覚えておきなさい。」
(テキスト21.Ⅵ.2:1)
エゴにとって光を見つめるのは耐え難いことです。
エゴは、自分よりも偉大なものがあると感知しますが、それを直視するのが耐え難いことです。
「もしあなたが内側に眼を向け、そこに罪が見えなかったとしたら、どうでしょうか。
この''恐ろしい''問いを、エゴは決して尋ねません。そして、今それを尋ねているあなたは、エゴの防御体系全体をあまりに深く脅かしているので、もはやエゴはあなたの友を装うこともしていません。」
(テキスト21ⅠⅤ3:1~3)
心は質問をし始めます。「私が純真ならどうだというのだ。私に罪がなく潔白ならどうなるのか」。エゴはただ問われるのが怖いのです。
世界の取るに足らないことを問う側へ戻りたいのです。
「もしわたしが今より上手くやれたら、どうだろう、もっと良い幻想を得られるかな」。
エゴが耐えられるのは、その類いの質問です。
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