真実を見る訓練になっています~シェア会より~
昨日は、奇跡のコースの対面セッションを開催しました。
昨日は5年くらい実践を続けている方々が多く、心の在り方を通して実践の結果を実感されている事などもシェアして下さいました。
例えば、ネガティブな事を言われても、その兄弟をジャッジすることなく、ニュートラルに受けとることが出来た。(以前の様な意味付けが出来なくなった)
「常に頑張らなければいけない私」という信念を手放しているからこそ、頑張っていない私を受け入れることが出来ている。(頑張っていない私でも、心の平安を感じている)
など、参加された兄弟のシェアを聞き、その様に受け取らせていただきました。
そして、その自我が握っている信念(仮面)は、それぞれの兄弟にあり本当の原因を見えなくしている信念でもあります。
これが「私」だという信念を持ち続けることで、外側に原因を見て、心の中にある「分離感」を見ないように自分騙しを毎瞬の様にしているのです。
ですから、奇跡のコースでいわれる本当の原因「分離感(罪悪感)」を癒すことが出来ないと、真実の自覚が戻ってくることはありません。
それに気付かなければ、外側によって私は不幸な気持ちになったり、幸せな気持ちになったりと、死ぬまで恐れを根底に生きることになります。
でも、聖霊は、私達の本性は『完璧なスピリット』で在ることだけを毎瞬教えて下さっていますし、
自我が妄想した幻想を使って、その本性を思い出すことへと常に導いて下さっています。
ですから、シェア会の場では、内側を見つめて真実でないものを認識していく必要があります。
真実以外の何を信じているのか?
真実以外の何にしがみついているのか?
真実以外の何に執着しているのか?
を、ジャッジする必要なく認識して、玉葱の皮を剥いでいくように、手放していくことが大切です。
すると、常にここに在る真実だけが残り、その中で本当の生命を生きていたことに気付かされます。
でも、自我はその信念を認識されると消えていくことを知っているので、見えないように抑圧を続けます。
自我は、そんな事を思ったり、感じたりする人間は、醜い人間であり無価値である…と信じさせて抑圧を続けます。
でも、本当の自分でないからこそ、消えていくためには、どんな醜い感情や思考も認識して表現し、手放していく必要性があります。
その事について、奇跡のコースのテキストでも教えて下さっています↓↓
幻想を直視しない限り、誰も幻想から逃れることはできない。見ないでいることにより、幻想が保護されているからである。(T-11.V.1:1)
そして、幻想を保護せずにじかに見つめること以外に、どのようにして幻想を一掃できるだろう。だから恐れてはならない。あなたがこれから見ることになるのは恐れの源であり、あなたが学び始めているのは、恐れは実在しないということだからである。(T-11.V.2:2-3)
………
そして、対面シェア会では、どんなに兄弟がネガティブな思考・感情を表現しても、それは消えるために出てきているデータの様なものであり、
『真実は完璧なスピリットである』
と聖霊と共に見る訓練になっています。
皆さんと、真実をわかち合えた事に心より感謝致します。
そして、聖霊の完璧な導きに、心より感謝いたします。
有難うございます。
仕事へ行く、道の途中で咲いているお花逹です。
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