ネガティブな現象を通しての赦しの実践



先日、仕事である年配の女性にお電話したところ、




名前を名乗った後に「このばかものめがーっ!!」と言われ、ガチャン!!と電話を切られました。



現象的には、久しぶりに理不尽なことで怒られたという思考・うっすらと、怒りという感情も出てきました。




そして、それを見つめるとそれは自我の思考・感情であり、



その思考・感情と同一化し続けるならば、攻撃した相手と攻撃された私をリアルにして、


自我の目的「分離感(罪悪感)」を強化していきます。




でも、その思考・感情を見つめていたら、例えるなら、心の私が既に撮り終えた映画(脚本・監督・演出者=すべて私)に、


自分の心の中で、自分自身に怒りを感じたり、責めたり悲しんでいる状態なのだ…という気付きが起こってきます。




そして、外側の分離しているように見える兄弟や状況に原因はなく、


それを見ている私の心が、「神から分離した」という信念を掴んで信じようとすることが原因なのだと思い出します。



すると、その思考・感情は通りすぎ、心に静けさが戻ってきます。



そして、何かを私にした相手と何かをされた私という過去が通りすぎ、今ここにはそれに対して感じる不快感は完全に無くなります。




そして、その現象を通して、『私は何者か』を思い出す機会をいただけたとの感謝のような感覚だけが残ります。




だから、外側の現象で何が起こるように見えても、



それがポジティブに感じるような現象でも、


ネガティブに感じるような現象でも




何も問題など無かったという気付きが起こります。




心の中心に戻り、聖霊と共に静けさの中で平安で居させていただけたことに感謝します。

奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。