赦しの正解が分からない~シェア会より~




先日、シェア会で奇跡のコースの実践をされてまもない兄弟が、赦しの正解が分からないというようなニュアンスの内容をシェアして下さいました。




例えば、病気の症状で苦しむ家族を見て「かわいそう」という思考と共に苦しみの感情がやってきたとき、



早く、その思考・感情が消えてくれないのか…と思ってしまう。



と言われました。




確かに、自我のネガティブな思考・感情が出てきたとき、それと同一化すると苦しい状態が続きます。




そして、自我の過去の概念では、ポジティブな思考・感情は良くて、ネガティブな思考・感情は悪いと、振り子の様に常に左右に揺れています。




でも、どちらも同じで、私の心が「分離した私」を掴んでいる状態なので、どちらも根底には罪悪感や恐れが消えることはありません。




ポジティブな思考・感情は、瞬間的に罪悪感や恐れに蓋をして見えない状態にするという自分騙しをしているに過ぎません。




そして、赦しとは私の心が自我と同一化していることに気付いて、心の選択を聖霊に明け渡し、真に見ることです。




ですが、自我と同一化していることに気付いて赦しても、すぐに心が平安を取り戻すことが出来ないことも多くあります。




なぜならば、自我の幻想に対する執着があまりにも強く、分離した私でありたい…と「分離維持」を強く望んでいるからなのです。




ですから、私の心は、そのネガティブな思考・感情を、分離した私のもの…と掴んだ手を放すことが中々出来ないのです。




ですから、赦しをして直ぐに「心が平安になるか?」の結果を見るのではなく、どれだけ分離した私という自我の分離維持の欲求・目覚めたくない抵抗を見ることこそが、



赦しの実践で大切なのだと実感しています。





そして、私の心が自我を掴んでいることに気付いて何度も何度も赦していくことで、



自我を掴んでいる手を離すことが早くなっていきます。




そして、『神の使者』の著者でもあり、奇跡のコースの実践を長くされているゲイリーレナードも、



見えないけれども、心のレベルでは、聖霊は玉葱の皮を向いていくように「分離した誤った信念」を訂正してくれていると教えて下さっています。




ですから、赦しとは心の中の自我の力動を見つめて、心を聖霊に明け渡し静かにする…という祈りであり、目を開けたままの瞑想なのだと実感しています。




そして、内なる導き・聖霊を信頼することなのだと実感しています。




そして、意欲を持って赦し続ければ、真の自覚(神の愛)が拡大していく実感も深くなってゆきます。




兄弟のシェアを通して、いかに聖霊への信頼が大切かを改めて実感しました。




有難うございます。


昨日は、奇跡のコース実践仲間と海の近くにあるお寺へ行き、カフェでプチシェア会をしました。



聖霊のギフトだと感謝でした♡

奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。