神聖な関係とは、両方の兄弟の心が聖霊と共にいないとダメですか?~個人セッションより~
今日は、個人セッションでした。
そして、奇跡のコース入門偏を読まれて、下記の様な質問がありました↓↓
『正しい心のところに書いてある「神聖な関係」とは、両方の兄弟が聖霊と共に居ないとその様な関係になりませんよね?
どちらか一方が、自我と居ると神聖な関係になりませんよね?』
と尋ねられました。
それで、奇跡のコースを通して覚醒されたデーヴィッド・ホフマイスターは、相手を分析する必要はない…と仰っていたことを思い出しました。
そして、奇跡のコースでは、私の心が聖霊を選択し、正しい心で世界を見ることを伝えてくれます。
ですから、相手はどの様にあってもいいのです。
私の心が、
自我を選択しているのか?
聖霊を選択しているのか?
のみに焦点を当てます。
すると、心が自我と同一化しているときは、兄弟や現象に意味付けをし、損・得などの欠乏感を埋めるための関係作りをしていることに気付かされます。
ですので、間違った心(自我を選択)の時は、「特別な関係」といわれています。
でも、心を聖霊に明け渡したとき、すべてを聖霊に委ね、その時に必要な言葉や行動が起こってきます。
そして、そこに意味付けが出来なくなり、心のレベルでは愛の延長をしている…と実感しています。
ですから、個人セッションで私がお答えしたのは、
相手という兄弟は関係なく、
私の心を聖霊に完全に明け渡し、聖霊になさっていただくことが、聖なる関係だと実感しています…
とお伝えしました。
そして、私自身も「聖なる関係」とは、現象レベルのことではなく、
心のレベルのことをいってるのだと、改めて実感しました。
だから、常に向かうところは、外側ではなく、外側の現象を通して、心の選択を聖霊に明け渡す。
これは、言葉では簡単でも、あまりにも私達は自我と同一化して、自我の「特別な関係」を無意識に続けてきたので、
それが「誤りだった」と気付いて降参していくために、意欲を持ち、忍耐強く心のトレーニングをする必要があります。
そして、心のトレーニングを続けることで、必ず神の愛の自覚が心の平安と共に広がってゆきます。
この事を、兄弟と分かち合えたことに心より感謝いたします。
完璧な導きを有難うございます。
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