自我の仮面を手放し、心の平安を取り戻す~シェア会より~



昨日は、奇跡のコースのシェア会でした。



初めに、瞑想をして聖霊に「必要なことを話させて下さい」など…それぞれに内側に焦点を当て心を静かにしました。



そして、現象を通して起こってくる思考・感情をシェアさせていただきました。



そして、その目的は、源の神の平安を阻んでいる自我の誤った信念を見つめる



そして、それを正直に表現することで、光のもとに消えてゆき、無だった…との気付きが起こってきます。



そして、真実は神(源)のみで在り、心の平安のみを自覚しているのだと分かち合います。



そして、自分の心を見つめることで、自我の好んでいる仮面に気付いてゆきます。




例えば、



・女性として男性に愛されなければいけない

「私」の思う愛される女性を演じる


・両親に愛される両親の求める「私」であらねばならない


・仕事で認められる「私」であらねばならない


期待を裏切らない「私」を演じようとする



・恋人が求める「私」であらねばならない

恋人を喜ばせようと努力する




など、本性を阻んでいるそれぞれの仮面を、私も含め皆さん正直にシェアして下さいました。



もし、その自我の好んでいる仮面に気付かなければ、その仮面を握りしめ続け、


心が自由になることは無く、根底には欠乏感や恐れ・焦燥感などがあり、苦しみ続けます。




そして、何度も何度もその仮面通りの「私」を演じ続け、その奥の無限の『愛』を見えなくし続けるのです。



ですから、真の幸せは常にここに在るのに、心を幽閉していたのは自分自身だった…と何度も何度も気付かされます。



でも、あまりにも自我の「神(源)から離れた」という誤った信念を無意識に掴んできて、その仮面そのものを「私」と信じてきたので、


その自我の力動に気付いては、この仮面を掴むのを辞めたいと手放し、何度も何度も聖霊に心を明け渡すことが大切です。




これは、呼吸をするのと同じように、意識して心の訓練をしてゆく必要があります。



自我は、赦し(目覚め)でさえも、直ぐに結果を求めようとしますが、その信念も光に捧げ、聖霊が訂正して下さっている…という信頼がとても大切です。



そして、「私」からの目覚めは約束されていて、実は既に目覚めています。



聖霊は、常にこの事のみを教えようと、何層もの自我の仮面をはずして心の平安のみを実感出来るように、完璧に導いて下さっています。



シェア会の中でも、この「聖霊の導き」を感じて涙が溢れてきました。



そして、シェア会に参加して下さっている兄弟と共に、この事を分かち合うことが出来ることに心より感謝いたします。


いつも、ありがとうございます。



………



昨日のシェア会で、聖霊からのインスピレーションで、皆さんとテキスト350ページ、「知覚から知識へ」の内容を分かち合いました。

↓↓


すべての癒しは過去からの解放である。



だからこそ、聖霊だけが唯一の癒す存在(もの)なのである。



聖霊は過去は存在しないと教える。



この事実は知識の領域に属するものであり、したがって、この世界にいるものには知り得ない。



この知識をもったままこの世界に存在することは、まさしく不可能である。



というのも、この事を少しの曖昧さもなく知っている心は、


自分は永遠の中に住んでいることも知っており、まったく知覚を使用しないからである。




それゆえに、その心は自分がどこに居るかを考えることもしない。



なぜなら、「どこに」という概念はその心にとって何の意味もないからである。




その心は自分があらゆるところに遍在し、一切を有する永遠なるものであることを知っている。



奇跡講座テキスト(第13章.8.1)

中央アート出版社より



※奇跡講座では、知識は神(源)と同義語として使われています。




奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。