聖霊のガイダンスで自我の仮面が剥がされていく~愛の自覚へ~




奇跡のコースを実践してきて、真に目覚めるために、分離維持するための自我の仮面が剥がされるために、つねに聖霊からガイダンスがやってきます。



それは、内側に在る源(神)の自覚を阻んでいる自我のお気に入りの仮面、信念に気付かされ、それを掴み続けることに降参し、聖霊のみに従います…と頭を垂れる感覚です。



ですから、聖霊は「私」から目覚めるために、つねに必要なもの、必要でないものを教えて下さいます。




私自身も沢山の自我の仮面を握りしめていたのだと、何度も何度も気付かされました。


女性らしい私


夫が気に入る妻の私


子供に尊敬される母親の私


自営業を頑張っている私


日本人の私


年を重ねて変化する私



など、真の目覚めを意志していなければ、この様な「私」をしっかりと握りしめ、又はその様な「私」にならなければいけない…と欠乏感を根底に分離の信念を掴み続けていたなと気付かされます。



でも、真の目覚めは、「私」は何者でもなかった…愛そのもので在り神の愛の中で幸せそのものだと自覚を取り戻すために、



自我の「私」を維持するために掴んできた上記の様な仮面が剥がされるためにガイダンスが次から次へとやってきました。



そして、その聖霊からのガイダンスに抵抗したとき、私の身体や心が不調になるのも感じてきました。



それは、まるで聖霊が私の身体を使って、「その道ではありません。どうぞ私のガイダンスに気付いて下さい」と教えて下さっているような感覚で、



何度も自我の声を採用していた事に気付いて、聖霊のガイダンスを受け取り従うという事を続けてきました。



そして、それと共に「私とはこういう者だ」という私に対する過去の意味付けが手放されたり、


「今、これをしたら未来はこうなる」という直線上の時間軸で考えることも手放されています。




ですから、今この瞬間、聖霊を信頼しガイダンスを受け取り従う。



今この瞬間、聖霊に心を明け渡し神の平安の中に居ることのみを意志する。



そして、外側の状況は、必要な事が起こっては通りすぎていく。




「真に目覚めたい」と意志して、実践を続けることによって、赦しを通して「幸せで在っていいのだ」と実感が深くなってきています。



そして、神の愛の中で生かされていることへの感謝が深くなっていることに気付かされます。



ありがとうございます。


奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。