私が病気になることはありえない~赦しのレッスンより~



先日は、個人セッションで兄弟が「病気についてとても恐れている…」とシェアして下さいました。




それは、もちろん自分自身に対してもそうだけど、病気の家族を見ると辛い…というシェアでもありました。




奇跡のコースでは、「病気」は真理に対する防衛と言われ、



私達がすることは、心の中にある「私は病気になれる」という信念を見つめ、その誤った信念を聖霊に捧げます。


そして、聖霊と共に、真に見ることが出来る様に心を明け渡します。




私自身も、体調を崩した時、1人暮らしの娘が体調を崩した時、


一緒に暮らしている家族が体調を崩した時は、その心の状態を見つめ、心が平安でなければ、自我の誤った信念を掴んでいるのだと気付き、赦します。



もちろん、「私」から目覚めてなければ、痛みや苦しみも感じるので、それに対して休養したり、薬を飲んだり…と対処はしますが、


その様なことをしながら、心を見つめ赦すことは、日常になっています。



そして、赦す度に、真実は神の子で在り…永遠で完璧なのに、


「私(兄弟)」は苦しんでいる


「私(兄弟)」は病気による被害者だ


「私(兄弟)」は、病気によって死ぬことが出来る


と、自我は「分離維持」のために、『私は身体だ』という事を信じたいのだな…と強烈な分離の欲求を認識します。



そして、「私」がすることは、その分離維持のための「病気」が真実だと言い張っている、自我を掴みにいかないこと。


心の中心に留まり、聖霊に真実のみを見させていただく。


そして。聖霊からのガイダンスを受け取り、必要な事をさせていただく。



そして、このレッスンを思い出しながら、ガンジーが盲腸の手術の時に麻酔を断り、手術中に微笑みながら弟子の方と話されたり、


デーヴィッド・ホフマイスターがある兄弟に頭を殴られ流血しているのに痛みを感じなかったという内容を思い出し、



「私」は身体だ…という心の中の誤った信念が完全に訂正されれば、苦しむことは出来ないのだと感じることが出来ました。




「病気」を通して、兄弟と私達の本性を分かち合わせていただきました。



ありがとうございます。


…………………




レッスン136



病気は真理に対抗する防衛である。





病気がどのような目的に役立つように見えるのかを理解しない限り、誰も癒されない。



それを理解して初めて、病気の目的にはまったく意味がないことも理解できるからである。



病気には原因がなく、どのような有意義な意図もないので、病気はまったく存在しえないものである。


これがわかったとき、癒しは自動的に起こる。



すべての幻想を真理のもとに運び、そこでそれが消えていくままにするのと同じやり方で、


癒しは赦しは病気というこの無意味な幻想を、消し去る。


・奇跡講座ワークブック

(278ページより)



……………



私は自分が肉体だと誤解し、


自分が本当は何なのかを忘れていた。


病気は真理に対抗する防衛である。


しかし、私は肉体ではない。



そして私の心は攻撃することができない。


だから私が病気になることはありえない。



・奇跡講座ワークブック

(282ページより)


奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。