私の心が平安でない理由は私の心の中だけにあります




奇跡のコースの実践を通して、心理学で言われている「投影」という内容がとても大切なのだと改めて実感しています。



投影とは、シンプルに言うと、自分の心の中にあるものを、外側に見ることです。



例えば、Aさんという友達が居て、Aさんの私に対する態度を見てると、Aさんは私を嫌いなんだと感じる。



これは、外側が先で、それによってそのような思考が起こってきていると感じますが、


心理学の投影では、「私がAさんを嫌いだ」と先に思っているから、Aさんが私を嫌っているという意味付けをしてAさんを捉えます(見ます)。



これは、無意識なのですが、「私がAさんを嫌いだ」という思考を心の中で否認して、外側にその思考をすり替えているだけなのです。




日々の赦しの中で、この投影に何度も気付くのですが、



最近では、職場である人が非難を浴びているのを聞いて心配になり、その非難をしている兄弟を「そんなに言わなくても…」と攻撃している自我の思考に気付きました。


そして、赦すことで、その思考は光のもとに消えていきました。



でも、この攻撃している思考の奥深くを見つめると、非難している兄弟を「罪がある」と見ていて、イエスが磔刑にあったように、


私の心の中では、その兄弟を罪人に仕立て上げ、十字架刑にしているのと同じであり、


非難されている兄弟を心配しているということは、その兄弟を「欠けている」と自我の思考を掴んで見ていることに気付きます。



これは、外側の兄弟をその様に見て感じてるだけで、自分自身には関係ないと…自我は言い張りますが


投影で見てみると、それは自分自身の中にあるから、その様な見方をしているのであり、


自分自身に「罪がある」や「欠けている」と思っているから、それを外側に投影して、その捉え方(見方)をしているだけなのです。



もし、自分の心の中に、罪悪感や欠乏感が無ければ、外側に「罪がある」や「欠けている」という意味付けは出来なくなるのです。



ですから、投影とは何かを理解すること、又は思い出すことで、


私の心が平安でない原因は、外側になく、私の心の中の誤った信念を訂正するしかないのだ…という事が理解できます。



それのみが、自分自身を救うことであり、それが完全に訂正されれば、神の愛のみを通して世界を見ることが出来るのです。



そして常に、聖霊は『すべての兄弟は神の子であり、完璧な愛そのものです。誤った信念に気付いて、私と共に真実のみを見てください』と教えて下さいます。



今日も聖霊と共に、真に見ることが出来るように意志します。


奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。