私は愛されていないという悲しみは「無」です
先日は、奇跡のコースの個人セッションでした。
兄弟が、現象で何も悪いことが無いのに、急に「悲しみ」という感情が込み上げてくる…ともシェアして下さいました。
それは、この世界が生じる以前の夢見る者(意識)が、神から分離したと信じた瞬間に、起きてきた喪失感(分離感・罪悪感)という悲しみであり、
その分離の信念をもち続けている限り、私の心の奥深くでは常に、「愛が足りない」と泣き叫んでいる状態です。
私も奇跡のコースを実践して、何度も何度もこの深い悲しみ・喪失感を認識しました。
その『存在論的罪悪感』(自我の泣き叫び)を認識したとき、あまりにも強烈で驚きましたが、
それを認識したからこそ、真実を思い出さない限りは「悲惨」なのだ…という気付きになりました。
だから、真の目覚めの過程では、その『存在論的罪悪感』を見ることになりますが、
聖霊は、それは真実ではなく【無】ですと教えて下さいます。
ですから、認識しては光に捧げ、心を静かにして聖霊に心を明け渡すことで、
その自我の泣き叫びも通りすぎ、心が穏かになります。
そして、ただただ神の平安を心の中で実感しては、有り難くて涙が出ることもあります。
ですから、目覚める過程では、聖霊のガイダンスによって、分離した私への執着が剥がされてゆく…ということが起こってきたり、
無意識下にあった「自我の泣き叫び」を認識して、苦しく感じることもありますが、
聖霊と共に心の平安を感じることも徐々に多くなってゆきます。
そして、聖霊、神への信頼も深くなっているのを実感しています。
兄弟との分かち合いで、分離したと信じる自我の泣き叫びを見つめ、聖霊にすべてを委ね真実のみを見たい…
と、共に意志することが出来ました。
聖霊の完璧なお導きに心より感謝いたします。
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奇跡講座入門編
71ページより
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