真の幸せを阻んでいる原因は、私の心の中だけにあります
昨日は、奇跡のコースシェア会でした。
最近、【投影】という言葉が何度も何度もインスピレーションでやってきて、今私に大事なことを聖霊が教えて下さっている…受け取らせていただきました。
ですから、シェア会でも奇跡講座入門編を使って、「奇跡のコースは『投影』を理解しなければ、真の赦しは出来ない」というケネス・ワプニックさんの内容をシェアして進めさせていただきました。
そして、最近あった私の出来事でシェアさせていただきました。
「息子が家の鍵が見当たらないから、お母さんの鍵を貸して!もしかして失くしたかもしれない…」という内容について、
私の思考・感情を見つめると、
また、スペアキーを作らなければいけない
この鍵は、鍵屋さんですぐ作れるものではなく、管理会社に伝えて1本3000円くらいかかるのに面倒くさい
これで、鍵を失くしたら3本目なんだけど
という思考と共に「イラッ!」としてる怒りの感情に気付きました。
そして、その思考・感情の奥を見つめると、「鍵を失くしたあなたは罪がある」と息子を攻撃している自我の思考に気付きました。
でも、それを【投影】で見ると…
私の中にあるものでしか、外側を意味付けすることは出来ない
私が私を罪人だと思ってるから、息子が罪人だ!と意味付けすることが出来るのだ。
だから、息子を攻撃したり、息子が変わることを求めることに意味はなく、私の心の中の罪や罪悪感があるんだという信念を聖霊に訂正してもらわなければいけない。
そうでなければ、この私の中にある罪や罪悪感があるんだという信念を持ち続けることで、死ぬまで誰かや状況に罪を投影し続ける。
もし、それが完全に訂正されたならば、私の心は『私は神の子だ』との自覚が戻ってくるので、兄弟がどの様に見えても、完璧な神の子だとしか見ることが出来ない。
よって、普遍的な心の平安(神の平安)で生きるには、私の心の中の誤った信念のみを訂正することだけだ…
と理解し、私の心の中の原因のみを見つめて、聖霊に祈り赦すことが出来ます。
この様に言葉にすると簡単なのですが、
自我は、この自我の【投影】の力動を忘れさせ、
私は神の子だけど、兄弟のしたことは罪がある。
でも、自分の心が苦しいから、兄弟のしたことを許そう…
という破壊的な赦しで終わってしまいます( ;∀;)
私もこの自我の破壊的な赦しをしようとしている事に何度も何度も気付いてきました。
でも、この破壊的な赦しは思考のすり替えになっていて、意味がないのだと気付かされました。
ですから、【投影】を思い出すとは、赦しの実践では本当に大切で、聖霊が常にその事を教えて下さっているのだと感謝でしかありません。
今回も、自我の誘惑・抵抗を兄弟と見つめ、真実を分かち合えたことに、心より感謝いたします。
……………
奇跡講座入門編より
ケネス・ワプニック著
↓↓
『講座』(コース)の中で単一の概念として「投影」ほど重要なものは他にはないでしょう。
投影を理解しなければ、『講座』(コース)の中の言葉は一つも理解できません。
自我がどのように機能するかということの理解においても、それが言えます。
自我がどのように機能するかということの理解においても、自我が行ったことを聖霊がどのように取り消すのかということの理解においても、それが言えます。
投影という概念が意味しているのは、簡単に言えば自分自身の中にある何かについて、
「これは本当は自分の中には存在していない。自分の外の誰か別の人の中にある」と見なす、ということです。
省略
0コメント