聖霊からの答えは常に来ています~赦しのレッスンから~



先日、ある兄弟の名前が出たときに、自我の劣等感という思考が強烈に出てきました。



それは、夜も熟睡できないくらい、その現象を通して、自我の「存在論的罪悪感」がゴォ~っと出てくるということが続きました。



私自身も、その思考・感情に驚き、しっかりと内側を見つめました。



そして、その兄弟と私の間に順位を付けて、劣等感を感じたい…という自我の強い欲求、そしてそれを掴み続けたいという自我の力動をしっかりと見つめました。



ただ、これは数回で真の赦しが出来ない…ということにも気付き、


この思考・感情を掴まないために、何度も見つめて聖霊に捧げ終わらせてゆくという必要があるのだなと実感しました。



そして、その赦しに集中し続けていると、聖霊から…


「英語」「デーヴィッド」



という2つのワードがインスピレーションで何度かやってきて、


デーヴィッドがYouTubeにあげて下さっている動画を英語で書き取り、それを日本語に訳す必要があるのだなと受け取ることが出来ました。



私の英語の能力は、小学生レベルで(;∀; )、デーヴィッドの英語はほとんどリスニング出来ず、


3分の動画も1分ずつ訳していき、かなり時間もかかるくらいの大変な(汗)レベルなのですが…



心の状態は『喜び』そのものを実感しています。




この事を、スピリチュアルな友達にシェアしたら、「それを日本語に訳して誰かに伝えるの?」と言われたのですが、


そのインスピレーションは来てないので、先の事を考えることもなく、ただ訳すのみみたい…とお伝えしました。



自我は、聖霊からのインスピレーションを意味あるものにしたいし、それをすることによって自我(現象)レベルでの良きことが起こるのか…と期待しますが、


その意味さえ考えなくていいのだなと感じています。



本当に私がすることは、聖霊と共にさせていただく。



それは、完全に心を聖霊に明け渡し委ねること。




そして、今回、私の心の中の不必要な自我に気付き、聖霊に捧げることで、


聖霊の声を聴き従うことが『喜びそのもの』だと感謝でしかありません。



今回のことで、聖霊のガイダンスは常に来ているのだけど、私の心が自我を掴んでいることによってその聖霊のガイダンスに耳を塞いでる。


それのみなのだなと実感しました。



そして、それによって、現象で何をしていても、私の心は神の平安の自覚の中で幸せで居ていい…。



聖霊は常に、「今ここには、『愛』という全体のみが在り、その真実に気付いて下さい」と導いて下さっているのだと実感が深くなっています。



いつも、ありがとうございます。

奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。