私を愛するとはどういうことですか?~聖霊のメッセージ~





先日、ある「目覚め・悟り」についての動画を見ていて、


視聴者の方の「自分を愛するということはどういうことですか?」という質問に、



『ありのままの自分を受け入れること』



そして、自分が目覚めたと理解するときは、全てを受け入れている心の状態だ…と仰っていました。




この内容を聞いた時に、奇跡のコースを通して目覚められたデーヴィッド・ホフマイスターが奇跡のコースを実践していて、


いつからか「悪い日が全く無くなった」と仰っていたのを思い出しました。




それは、例え、外側の現象でネガティブか事が起こっている様に見えても、私の心の中の「罪悪感(分離感)」が、完全に訂正されることで、


私の本性の自覚が取り戻されるので、何もジャッジすることが出来ないのだ…




そして、すべてが「愛」だと、腑に落ちているので、ただただすべてを受け入れる生き方になるのだと…改めて実感しました。




赦しの実践をしていると、


「私」に、今良いことが起こっている


「私」に、今悪いことが起こっている


「私」は今良い気分だ


「私」は今悪い気分だ



と、この個のアイデンティティーの「分離した私」が存在すると信じている心の状態が問題であり、



その「私」をリアルにすることで分離感を強化し、



ポジティブな私は良いけど、ネガティブな私は駄目だ…


よって、外側の兄弟も良い・悪いでジャッジしてしまう。



そして、原因のない所に原因を見ようとする自分騙しをしている。



その様な事が心の中で起こっているに過ぎないと実感することが出来ます。




でも、心を聖霊に委ねたとき、私の本性の自覚が取り戻されるので、『ジャッジできるような何かは無かった』との理解が起こってきます。



その、「目覚め・悟り」の動画を通して、


心を聖霊に完全に明け渡したとき、心が神の平安で満たされるので、


外側の良き事に見えることも、悪き事に見えることも、ただ全てを受け入れて、聖霊と共に幸せで在ればいいのだと…改めて実感することが出来ました。




有難うございます。

奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。