幸せに気づくには目的が大切です



奇跡講座ワークブックレッスン287



父よ、あなただけが私のゴールです



…………




約7年前に奇跡のコースを始めた頃、数ヶ月くらいは、外側の幸せを得るためのツールだと思っていました。



でも、その考えは、自我の「分離の信念」を維持させるものであり、



外側に幸せを求めることを辞めて、内側を見つめることで、既に在った『神の愛』という永遠である幸せを思い出すことになるのだと腑に落ちてゆきました。



そして、赦しの実践を続けてゆくと、自我の「存在論的罪悪感」を認識することになり、



自分の心の中に「神から分離した」という誤った信念を持ち続けている限り、外側に自分の心の不足感・欠乏感を埋めるために、永遠で無い幸せを求め続けるゲームが終ることはないのだと気付くことが出来ました。



それは、穴の空いた器に水を沢山貯めた!と思ったら、またその穴から水が出ていき、そのために水を入れ続けないといけない




又は、



自分という馬の目の前に人参をぶら下げ、それを得るためにずっと走っている



でも、実は走らなくても足元を見たら、永遠に困らない人参があった



という様な、自分が外側に焦点が当たっている限り、満たされることは無く、今ここの無限に在る幸せに気付くことができないのだなと…赦しの実践を通して気付かされています。




そして、自我の分離への執着、父(神)を否定し、「私」が世界の想像主だとの傲慢さが強烈で、すぐに外側に幸せを求めることを辞めるという事は出来ないのだな…とも感じています。




そして、私自身は、日常生活の中で赦しの実践をしていくことで、自我の力動(トリック)が見えてきて、外側に幸せを求め続けることが、真の幸せの自覚をできない自己騙しだった…という気付きが起こってきました。




そして、自我をしっかりと見つめていくことで、存在論的罪悪感をリアルにし、常に「私には罪がある、私は足りない存在だ」と泣き叫んでいることも認識しました。




すると、執着を捨て去らないといけないという前に、真実を知っている聖霊に助けを求める他はないのだ



自分でどうにかしようとすることに降参するしかないのだ



選択の余地など私にはなかった…という事を認める事となりました。






そして、生きる目的が



今日のワークブックレッスン



父よ、あなただけが私のゴールです





これを毎日、コミットさせていただいています。




そして、コミットすることで、聖霊のガイダンスを受けとり従うことによって、ゴールへの時間短縮をして下さるのだと感じることができています。





いつも、導いて下さり有り難うございます。




父よ、いつも愛して下さりありがとうございます。



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。