愛の延長とは完全に心を聖霊にゆだねることです




ここ最近の赦しの実践では、何度も奇跡講座の内容、




『あなたは自分が正しいことと、幸福であることのどちらを好むだろうか。』




と、奇跡講座テキスト第9章の「誤りの訂正」の内容が必要だとインスピレーションが来ます。





それは、やはり自我は過去の概念や自己概念からの「私」の正しさを主張したい



そして、「私」の正しさを主張することで



相手をコントロールしたい



相手に勝ちたい



と思っています。




でも、それは真理から見ると、分離は起こっていないので、



神を否定したい



神に勝ちたい



と、自我が心の中で思っていることを外側(世界)に投影して見ているだけだ…という事に気づかされます。




そして、



奇跡講座で言われる『幸福』とは、



私は何も分からない



と、完全降参して、心に留まり聖霊に完全に心を明け渡し為さっていただくこと。



それのみなのだと、実感させられています。




ですから、赦しの実践の中で、「私の考える○○が正しいからこれを相手に分からせたい」と、「私」の正しさを証明したいという強烈な欲求は認識しますが、




聖霊に心を委ねると、



ある時は、


何も言わない


ある時は、言う



など…「正解」というものはなく、やり取りが終わったあとに…



これが聖霊が為さって下さる最善であり、愛の延長なのだな…と受けとるという心の状態になります。




この事を、聖霊は起こる現象や兄弟とのやり取りを通して何度も何度も教えて下さっています。




本当に「私」は、


分かっている


知っている



というマインドは必要なく、ただただ毎瞬降参して、「私」まるごと聖霊に「お使い下さい」と頭を下げて引き下がるだけだと実感しています。





イエス、聖霊



真実を指し示して下さり有難うございます。



いつも、導いて下さり有難うございます。




…………





自我にとっては、誤りを指摘して「訂正する」ことは親切なことであり、正しく、良いことである。



誤りとは何か、訂正とは何かを自覚していない自我には、これは完璧に意味をなす。



誤りは自我に属するものであり、誤りの訂正は自我を放棄することにある。



兄弟を正そうとするとき、あなたは彼が間違っていると告げている。



その時点で彼は意味の通らないことを言ってるかもしれない。



そして、彼が自我から語っているのであれば、彼が意味をなさないことは確実である。



しかし、それでもあなたの任務は、彼は正しいと彼に告げることである。



彼が愚かなことを語っているのなら、あなたは彼が正しいと言葉で告げることはしない。



彼の誤りは別なレベルにあるので、彼には別のレベルの訂正が必要である。



それでも彼は神の子であるから、依然として正しい。



彼の自我は、何を言っても、何をしても、常に間違っている。




奇跡講座

第9章2

誤りの訂正


奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。