攻撃は愛を求める呼びかけです~愛で応答する~





聖霊の目には、すべての攻撃が、助けか愛を求める呼びかけなのです。



なぜなら、もし人が愛を感じていたなら、攻撃することは決してできないからです。



攻撃は、その人が自分が愛されていると感じていないという事実の表現です。



ですから、それは愛を求める呼びかけです。



それが語っていることは、「私が間違っていると教えてほしい。私を愛している神が本当に存在すること、私が神の子であり、自我の子ではないことをはっきり示してほしい」ということです。



もし私が〈正しい心の状態〉でここに座ってるなら、そのような呼びかけを私は聞くことになります。



攻撃の中に、愛を求める呼びかけを聞くのです。



そしてその時、私は神の愛と一体感を感じているのですから、その愛を延長させていくこと以外にどんな反応ができるのでしょうか?



私がその攻撃に対し具体的にどのような形で反応するかは、聖霊の導き次第です。



奇跡講座入門

ケネス・ワプニック著

139ページ



………




数ヵ月前に、私の目の前で、兄弟同士が喧嘩をして、1人の兄弟がもう一人の兄弟に向かって拳を振り上げている時に、このケネス・ワプニックさんが伝えてくださっている内容が思い出されました。



そして、私はとっさに心の中で




聖霊助けて下さい


神の子としてみれるように助けて下さい



と祈っていました。




すると、その瞬間は恐れが消えて拳を振り上げている兄弟の身体を両手で撫でるように触れ、ソファーに座らせていました。



そして、そこで2人の喧嘩は終わるという事がありました。



実際に行動で攻撃をしている兄弟を見たときに、心は動揺し、どのようにしたらいいか分からなくなります。



ですから、これが数年前の心の状態だと、それが「愛を求める呼びかけとしてみる」という奇跡講座の内容すら思い出すことは出来なかったと思います。



ただ、真の目覚めを意志し、こつこつと赦しの実践をしてきたことで、現象を通して聖霊からのインスピレーションで、心を委ね聖霊に為さっていただく



という心が養われていくのだなと実感する赦しの機会でもありました。



そして、聖霊に心を明け渡し、聖霊に為さっていただくことが、愛の延長なのだと実感しています。



ですから、心が自我と同一化している時、



私は間違った見方をしている



私は何も分からない



と、降参して、聖霊に心を委ねていくことがとても大切なことだと実感しています。




イエス、聖霊 


いつも、ありがとうございます。


………





聖霊によれば、世界中のあらゆる人やものについて下せる判断は2つしかありません。



それは愛の表現か、愛を求める呼びかけです。


この他に可能な選択肢はありません。


このように考え始めると、この世界に生きることは非常にシンプルなこととなります。



もしも、誰かが私に愛を表現しているなら、私もその人に愛を表現する以外にどんな応答ができるでしょうか?



もし、私の兄弟姉妹が愛を求めて呼びかけているとしたら、その愛を与えること以外にどんな応答の仕方があるでしょうか?



ということは、私たちが何をしようと、世界が私たちに何をしているように見えようとも、私たちの応答は常に、愛による応答となる、ということです。



奇跡講座入門

ケネス・ワプニック著

141ページ


奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。